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Dec 4, 2009

レクターに!

いつもゲッコウに参加してくれて、広島で活躍している宮下大輔くんからレクター宛にDMが届いた。変わったDMだな。

おまけにちゃんと「ワレモノ注意」と描いてある。
という事は人間の目には「かきせんべい」なる物に見える物が、レクターと宮下君の間ではDMとして通用するんだろうな。へええっ。しょうがないから、レクターにあげよう!そんでもって、お裾分けをもらおう。

なんて、うそうそ。
ちゃんと人間用のDMも入ってましたよ。

お近くにお棲みの方は是非!

2009年12月8日から13日まで
Art space HAP
広島市中区鶴見町2-24-101
082-249-5453
www.urban.ne.jp/home/hap
宮下大輔

この期間中に、まったく、たまたま偶然に、広島風おこのみ焼きを食べに広島に行かれる方も是非!!
では、人間用のDMをどうぞっ!


あっ、間違えた。
これは、お客様に頂いた「おめで鯛」というメデタすぎるお菓子だ。
でも、めでたそうなのであえてこのまま。
うーん、これで宮下君の個展の成功は間違いないな。


Sep 30, 2008

戦友

そだくんとウノッチと食事をしていて、ふとこんな話になった。
「そださんの個展、今年で7回目ですよ」「えええええっ」
すごいな。いやいや、改めて数えた事がなかったから、聞いてびっくりした。
なかなか30才前で、画廊企画で個展7回って、作家にものすごく才能があるか、ものすごく将来性があるか、あるいはその企画画廊のオーナーがよっぽどの挑戦者なのか・・・その、どれかだろうな。
年頃の綺麗な画廊のオーナーと、見目麗しい青年作家だったら、確実に関係性を疑われてる所だ。
それはおいといて。

雨なのに、今日はお客さんが沢山。にぎやかだ。
何日か前、通りすがりの方が作品を買ってくれた。もちろん、今まで買ってくださったお客様に対しても、そだくんのまわりにあまた存在するいろいろな年齢層の女性の方々に対しても、買ってくださる事に対する喜びは変わらず、とても嬉しいことなのだが、通りすがりの方が目に留めてくれて、おまけに気にいってくれて、それでもって買ってまでくださる。というのは、作家および画廊冥利につきるというか、違った喜びがある。説明が難しいけど、その瞬間は作品の魅力だけがクローズアップされた気がして、まあ、なんていうかそういう感じ。

が、しかし、そだくんを誉める事はしない。当たり前だと思うから。
作品がいいのに、売れないと腹が立つ。誤解しないでほしいが「売り上げが上がらないと」とは言ってない。そっち方向で考えた事もない。採算を考えたら、できないでしょ個展も画廊も。私が3食ぬきましょう!いやいや、なんなら3日までなら我慢してみましょう!
それに、ここに展示したものが売れるという事は、私が「いいでしょ。これ。だって、いい作品だと思ってるから企画してるんだもん。いい絵に決まってるじゃん」という声にはならない声を朝から晩まで発しながら、企画している訳だから、そこんところが満たされるとものすごく幸せな訳だ。満たされないと機嫌も悪くなる。そりゃそうだ。それじゃあまるで私に見る目がないみたいな気になるから。
おまけに彼の初個展から7回もやったとなると、もう後には引けないでしょ。だから、そだきよしは甘やかさない事に決めたのだ。
戦友みたいなもんだな。
あっ、でも、先に行ってくれ。地雷踏んだら怖いから。それで安心だったら合図して。そのくらいしてくれてもいいでしょ?
だって、女の子なんだもん。

Sep 21, 2008

carpe diem.

来週から、そだきよし展が始まります。
版画というのは、フレームに入れなければ展示する事が出来ない。(まあ、別に他のやり方がない訳ではないが、やっぱりその作品にあったフレームをつけると作品との相乗効果があがると思う)作品がいつもぎりぎりまで作られているので(それは、曽田君が悪いという意味ではなくて、いい作品を作るためにギリギリまでがんばっているのだという事だと・・・)30点近い作品を大急ぎでフレーミングするためにマットを切っていると、カッターナイフがあたる所に血豆が出来た。痛いじゃん。一日に3点くらいづつ余裕でフレームに入れれるスケジュールってのもいいよねえ、ゆったりしててさ。たまには。あっ今回の作品もいいです。根本的なブブンは曽田君の頭の中に生まれては住み着いてしまう生き物たちが主役だけど、見せ方が「おーいい感じにイカすじゃん!」って感じで、楽しくてかっこいい。新しい発見もいっぱい。かわいいだけじゃないんだよ、僕は!って色気づいて来たのかな?

話は全く変わるが、世間では、リーマンがどうとか、AIGがどうとか、受け売りのニュースで経済状況を語っている方々がいる。風が吹けば桶屋が儲かる的な関係でさえものすごーく遠くてその事によってなんらかの関係がある訳でもないのに。
一人勝ちして景気が良かった会社が倒産した話題を、ちょっとばかりざまあみろみたいに言ってる人もいるけど、その会社が倒産しようがしまいが、何の関係もない人の方がそんな風に言ってるのをみると、哀しい生き物だなあと思ってしまう。本当に関係している人たちや、同業者の人たちはそんな事は言わない。なんとか助けれる所だけでも助けてあげようとしている人たちだっているんだよ。ちゃんと。
私は、人の財布の中身をあれこれ心配しているふりして、覗き見する様な奴や、あからさまに知りたがる奴は大嫌いだ。その上、それによってつきあい方を変える人間はもっと嫌いだ。あなたの1万円と私の1万円は同じ物だ。おまけにどう使おうとあなたの勝手だし私の勝手だ。
人の不幸を心配してるふりして楽しそうに話すっていうのは、見ていて気持ち悪い。最低だ。

嫌な感じで終わりたくないので、感動したプレゼンを一つ。
英語ですが、わかりやすいですので時間のある方はどうぞ。上記の話題に出てくる人々と、このプレゼンをしているJill Bolte Taylorとの個体差が同じ人間というカテゴリーでいいのか、私にはわからない。

Aug 30, 2008

レクターとトム、そう、黒と白。

久しぶりにお天気。レクターは雨が嫌いというか、濡れる前足と後ろ足が大嫌いなので、雨が降ると退屈そうにしている。でも、今朝は少し子供の頃の彼の様な目をしてこっちをみていた。

上田優子展も真ん中まで到達。毎日沢山のお客様が来てくれて、本当ににぎやかだ。優子ちゃんの人柄っていうか、みんなから大切にされてる感じがして微笑ましい。「NYに言ったって聞いて、ガリガリになっていたらどうしようと思ってたのよ」なんて優しそうに声をかけて帰られる奥様とか。

お客様の中に、最近版画を始めたという方がいた。いろいろお話していて楽しくなったので、(優子ちゃんの個展中にもかかわらず)いろんな版画をお見せしながらなんだかんだと話していた。駒井哲郎や坂東壮一の版画を始めて見たとおっしゃって、「こういう、作品もあるのねえ」なんて。でも、さすがに長い事絵を描いてる方達らしく「同じ黒でも全然ちがうわあ」なんて、一生懸命見ていた。そうなんですよね、作家によって、作品によって同じ黒でも同じ赤でも全然違うんですよね。そうして、きつい事を言えば他の作家と同じ黒しか出せてないうちはいい作品にはほど遠いんだと思う。私はもともと本当に綺麗な黒とか大好きなので、そんな作品を集める癖がある。そうしてその作品をじっとみていると、沢山の色があふれてくる気がする。そういう作品が好きだ。

皆さんもギャラリーに来たら、そこの人と仲良くなって収蔵品を見せてもらうっていうのも楽しみの一つですよ。
私は小さい頃からそこが画廊という事すら認識せずに(なんとなく絵が沢山あって何屋さんかなあ?くらいの感じ)何処でも入って行って、お店の人に「この絵は誰が描いたの?」とか「この絵より、この絵の方が好き」とか「絵はいいけどフレームがあってない」なんて平気で言う生意気なガキだった。でも、いつも来るもんだから結構その店のおじいさんとかに気に入られて、ちょっと暗い奥のスペースで厳かなマップケースの中から、いろんな作家の絵を見せてもらう様になってた。お話つきで。大人になって、「あーこの絵見た事ある!」とか、「えっあそこの画廊ってこんなに敷居が高い所だったんだっ」て驚いた事が何度かある。
本当に怖いもの知らずだったな。と。

Aug 25, 2008

思考の飛躍

改めて思う存分今回の上田さんの作品をながめていて、ふと水の音が聞こえてきそうな作品をみつけた。私にはその絵が、遠くから見ると雨に降られて観光客もまばらになり、回廊にあるカフェの光が淡く遠く弱々しく映っているベニスのサンマルコ広場の石畳を思い出させ、近くで見ると雨には変わりはないのだが、それこそ午後のNYの少し混雑したアベニューをホテルに向かうタクシーの座席からガラス越しに見える曇っているのに少し明るいあの空と、雨のせいか少しうつむき加減に急ぎ足で行き過ぎるいろんな国の人々、そして、雑多な色の広告もネオンサインも雨のベールを纏ったガラスごしにちょっぴりぼやけてしまっていて、少しずつ進む車の速度と、あまり早くない定期的なワイパーが揺れるごとにデザインを変えて、流れたりとどまったりしている。そんな事を思い出させる。

しかし、その雨は雨だからといって少しも嫌な訳ではなく、例えば、最愛の国ベニスに滞在している時の心地よい異邦人感覚と、いにしえの美術品や建物に囲まれて、感慨深く、何度来ても時の流れの膨大さに圧倒されてしまいそうになる時間を過ごしている時に降る休息の様な優しい雨で、決して明日のグッゲンハイムに行く道のりを邪魔する事はなく、車が少し渋滞していてもガラスを伝う雨粒が大好きな私にとっては、かえってスローなスピードで変わりゆく様を眺められるおかげで、忙しいスケジュールで動いた日中から快適なホテルの部屋へと誘ってくれる素敵な雨だ。そう、雨の、水の、色の、心地の良いバランス。今、降ってくれている事がとてもいい感じな素敵な雨。

抽象作品というのは、こんな風に自由だ。ただの私の勝手な思考の飛躍でしかない。ただ、そう感じるのだから仕方がない。作家が何を思い、何を描いたのか確実な事は私にはわからない。
その話をしていてスタッフに「彼女の今回の絵には、タイトルがついているの?」と訪ねると、「はい」と言う。
「あの絵には、どんなタイトルがついているの?」
「ちょっとまってください、えーっとkirisameです」
これは、その絵から雨や水を感じた自分を自慢しているのではない。作家が過ごして来た時間と、私が過ごして来た時間は同じではない。ただ、少しだけ、ほんの少しだけ触れ合った様な偶然でしかない。タイトルは「kirisame」でも、彼女にとっての雨の景色と、私の勝手な妄想とは全く違うかもしれないのだから。
ただ、「kirisame」という抽象画を描いて、私の頭の中に水の音と過去に見た雨まじりの心地よい想い出を連想させるてくれる作家がいる事がとても嬉しい。
そうして明日見る時には、どんな風に思わせてくれるのかも、また、楽しい。

抽象画って、いいでしょ?

もちろん、抽象画だけじゃなくてどんな作品にも創造の翼をつける事が出来る。人の数だけ際限なく許される思考の飛躍。自由ってそういう感じ。彫刻でも音楽でも詩でもなんでも。
何にもないキャンバスや空間なんかに、いろんな思いをしながらこんなに素敵な物を生み出して私たちに見せてくれる。
いつも思う。本当に生み出してくれる人たちがいてくれて良かった。
じゃないと、生きる楽しみが大幅に減ってしまう。
私にとっては、意味さえなくなりそう。

赤や青の中にある風景や心情 もしくは彼女。

抽象画はよくわからない。とおっしゃる人がいる。
この関係の仕事を始めた頃、そうさなあ、もうかれこれ15-6年前になるかなあ、ものすごく良く聞いた言葉だ。その人たちの中には、ウォーホールやミロなんかを、とても難解な抽象画だと言う人もいた。
CDを買いに行くと自分が思ってたところにカテゴリー分けされてないときがある、いくら探してもない。「あー私が間違ってたのかしらん?」と思って、店員さんに聞くと(だって、そこで働いているから、当然知ってるとおもいこんで)いろんな店員さんの間でリレーされたあげく、「ちょっとわかりませんが、本当にもうリリースされてますか?」ひどいときは「その名前は間違ってませんか?」などと、「えええええっ!?私?」みたいな事もある。されてます・・・もちろん。間違ってもいません。
プロだといえどもわからない事もあり、素人だからといってわからない訳じゃない。

世の中にわかる事なんてどれほどあるだろう? 1+1=2だという単純な事実らしき事がどんな人間からみても、どんな視点から見てもわかりきった事だろうか? そんなに難しくなくていい。答えがわからないからおもしろい。わかる事や物に囲まれてばかりで暮らしていても、退屈じゃない? その点、どうせわからないんだからっていうスタンスで入れば、みたまま、感じたままで、自由に受け入れることができる。赤い色を見て夕日を思い出してもいいし、蒼い色をみて深い海を思ってもいい。自分のなかにある今まで経験して来た、あるいはただ単に通り過ぎて来た瞬間を好き勝手に思っていいんだ。もちろん、何も感じなくてもいい。色を色として、形を形として認識するだけでも楽しい。コスモスが描かれていたら、初秋の高い空とこれから冬に向かう気配を含んだ風の匂いを感じたりするのなら、上田優子の作品を目の前にした時、何も、何一つ感じないという事はないだろう。好き、嫌いといった単純な心の動きから始まったっていい。


昨夜遅く、私のギャラリーにかけられた彼女の絵をみた。
沢山の彼女に囲まれて、彼女がどんな風に作品に向き合っているのか作品たちが代弁してくれた。ずーっと観てた。ひとつひとつ。
ギャラリーをやっていて、ずっと作家を見て来てこんな瞬間があるから止められない。階段を上るのは作家だけでいいのかと、改めて自分をみた。

抽象画はわからないなんて言わないで、ただ、ここに来て、この中に身を置いて、他の事を考えたっていいと思う。そのうち、作品の方から静かに何かを、あなたにしかわからないお話をしてくれるはず。

とにかく、いい絵だから、見てほしい。