Aug 25, 2008

赤や青の中にある風景や心情 もしくは彼女。

抽象画はよくわからない。とおっしゃる人がいる。
この関係の仕事を始めた頃、そうさなあ、もうかれこれ15-6年前になるかなあ、ものすごく良く聞いた言葉だ。その人たちの中には、ウォーホールやミロなんかを、とても難解な抽象画だと言う人もいた。
CDを買いに行くと自分が思ってたところにカテゴリー分けされてないときがある、いくら探してもない。「あー私が間違ってたのかしらん?」と思って、店員さんに聞くと(だって、そこで働いているから、当然知ってるとおもいこんで)いろんな店員さんの間でリレーされたあげく、「ちょっとわかりませんが、本当にもうリリースされてますか?」ひどいときは「その名前は間違ってませんか?」などと、「えええええっ!?私?」みたいな事もある。されてます・・・もちろん。間違ってもいません。
プロだといえどもわからない事もあり、素人だからといってわからない訳じゃない。

世の中にわかる事なんてどれほどあるだろう? 1+1=2だという単純な事実らしき事がどんな人間からみても、どんな視点から見てもわかりきった事だろうか? そんなに難しくなくていい。答えがわからないからおもしろい。わかる事や物に囲まれてばかりで暮らしていても、退屈じゃない? その点、どうせわからないんだからっていうスタンスで入れば、みたまま、感じたままで、自由に受け入れることができる。赤い色を見て夕日を思い出してもいいし、蒼い色をみて深い海を思ってもいい。自分のなかにある今まで経験して来た、あるいはただ単に通り過ぎて来た瞬間を好き勝手に思っていいんだ。もちろん、何も感じなくてもいい。色を色として、形を形として認識するだけでも楽しい。コスモスが描かれていたら、初秋の高い空とこれから冬に向かう気配を含んだ風の匂いを感じたりするのなら、上田優子の作品を目の前にした時、何も、何一つ感じないという事はないだろう。好き、嫌いといった単純な心の動きから始まったっていい。


昨夜遅く、私のギャラリーにかけられた彼女の絵をみた。
沢山の彼女に囲まれて、彼女がどんな風に作品に向き合っているのか作品たちが代弁してくれた。ずーっと観てた。ひとつひとつ。
ギャラリーをやっていて、ずっと作家を見て来てこんな瞬間があるから止められない。階段を上るのは作家だけでいいのかと、改めて自分をみた。

抽象画はわからないなんて言わないで、ただ、ここに来て、この中に身を置いて、他の事を考えたっていいと思う。そのうち、作品の方から静かに何かを、あなたにしかわからないお話をしてくれるはず。

とにかく、いい絵だから、見てほしい。

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