Aug 23, 2014

遠くから届く「音」

彼女の作品は、優しくて激しい。
全体から感じる色や形が強いわけではないのだけれど、いつもどこかに激しさを感じる。
薄い色を慎重に重ねて描かれた色や華奢な線が、画面に奥行きを与えている。その慎重な重なりの中に不釣り合いなほどの大胆さで配置された形や質感がある。
不思議とそのどちらがなくても作品は出来上がらない。
作品を仕上げる上で「止め時」は大切なポイントだと思う。
特に抽象は難しいと思われる。
私の中で、それがいつもしっくりくるのが彼女の作品だ。
過剰でもなく、足りなくもない。
描いて欲しい所に色と形があり、描いて欲しくない所に空間が広がる。
彼女が年を重ねるのと同じように、作品も深みをまし魅力的になる。
彼女の作り出す作品に、私は憧れている。
そんな彼女が新作を送ってくれたので、みんなにも見てもらいたくて。
実際の距離なんて関係ない。海をこえて、作品は届く。
私は彼女に何を届けたらいいのだろう。
忘れないでおこう。ずっと大切に。
Yuko Ueda Spring 15

最近は、ともすると、自分の存在が危うく感じる瞬間がある。普段なら四六時中誰かと一緒にいる事など耐えられない部類なのだが、あまりにも静かすぎると実際に聞こえる音よりはるかに大きな「シン」という音に押しつぶされそうにる。
そういう時、レイ・ブラッドベリの「霧笛」の一節を思い出す。

「この海原越しに呼びかけて、船に警告してやる声が要る」これまでにあったどんな時間、およびどんな霧にも似合った声を作ってやろう。そうすればそれを人は霧笛と呼び、それを耳にする人はみな永遠というものの哀しみと、生きることのはかなさを知るだろう。
一晩中起きている人のそばにある空っぽのベッドに似合った、また訪ねていってドアを開けてもひとのいない家に似合った、また葉の一枚もついていない秋の木に似合った そんな声を作ってやろう。
鳴きながら南方に飛び去っていく鳥に似た音、また11月の風やきびしい寒い浜辺に寄せる波に似た音だ。
あまりにも孤独なために人はそれを聞きそらすはずがなく、またそれを耳にしたものなら誰でも心ひそかにすすり泣きをし またそれを遠い街で耳にする人には、我が家がいよいよ暖かく思われ うちにいる事がますますありがたく思われる。そんな音を作ってやろう。

ありがたいことにいつもいいタイミングでそんな音が届く。
それが届いていなかったら、今の自分が存在するかさえ確証がもてない。

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