記憶も感性でさえもただの脳における電気信号にすぎない。らしい。 それならそれでいい。
だったら電気回路がまともなうちに記憶の宮殿をたどって、どこにいても出来る旅行を楽しもうと思う。
この風と空の高さになると、そろそろ、街角で焼き栗のいい匂いがする街を思い出す。ヨーロッパに行くときは夏より冬のほうが多かった。日本だと寒いのも暑いのも歩くのも好きじゃない。寒い、とても寒い、でもこの時期は空気が澄んでるから気持ちいいとか、ナトリウム灯が揺らめくのにまかせて街の端っこから端っこまで歩いてもご機嫌だったりする。
南の島のホテルやジャングルなら、暑くても虫がいっぱいいても大好き。あっ虫は全体的に好きだけど、蚊は痒いからメンドクサイ。小型ボートを借りて川沿いにホタルがすずなりになる木を見に行ったことがある。その時の蚊は日本のそれとは明らかに違って、激しかった。おまけに現地で買った虫除けはベタベタするだけで効かなかった。もちろん川岸一面に点滅するホタルの木は最高に綺麗だったけど。
あの時、現地で雇ったガイドさんはやたらと日本に行きたがってたなあ。その時は「行けばいいじゃん」と思ったけど、なにか行けない理由でもあったのかなあ。
蓄積された記憶という電気信号のおかげでいい気分になれるなら、それはソレでいい気がする。
「時々私は不満をいうけれど」と心は言った。「私は人の心ですからね。人の心とはそうしたものです。人は、自分の一番大切な夢を追求するのがこわいのです。自分はそれに値しないと感じているか、自分はそれを達成できないと感じているからです。永遠に去ってゆく恋人や、楽しいはずだったのにそうならなかった時のことや、見つかったかもしれないのに永久に砂に埋もれた宝物のことなどを考えただけで、人の心は怖くてたまりません。なぜなら、こうしたことが本当に起こると非常に傷つくからです」 「僕のこころは、傷つくのを恐れています」ある晩、月のない空を眺めているとき、少年は錬金術師に言った。 「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ。」 「夢を追求する一瞬一瞬が神との出会いだ」と少年は自分の心に言った。「僕が真剣に自分の宝物を探しているとき、毎日が輝いている。それは一瞬一瞬が宝物を見つけるという夢の一部だと知っているからだ。本気で宝物を探している時には、僕はその途中でたくさんのものを発見した。それは、羊飼いには不可能だったと思えることに挑戦する勇気がなかったならば、決して発見することができなかったものだった。」 「アルケミスト 夢を旅した少年」パウロ・コエーリョ著
宝物を見つけるという夢の一部だと知っているから毎日が輝いて見えるのなら、最後まで 宝物を探し続けよう。羊飼いには不可能だとか、病人にはムリだとかそんなことは何ひとつ宝物を探すネックにはならないのだから。
なんだか「パッとしないなあ、今」と感じてる人も「夢を追求しているときは、心は決して傷つかない」と錬金術士(ソレが一番怪しいが)も言ってることだし「人の心の持つ恐怖」を越えてかないと、ゴールがつまらないものになりそう。
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