May 30, 2013

囁かれたリミット


僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。 僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻うめいた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。

小学校4年生の時、この部分に共感して感想文を書いたら、お母さんが先生に呼ばれた。全くもってそうだなと思っただけなのに。

そして、今もそう思っている。

周りに期待していない訳ではなくて、人生なんて自分次第だって事。
関係も決別も、生き方も生きる場所も、限られた時間も、戦う方法も、全て自分次第だってこと。

そのために強くなろうと改めて思った。

2013年の初夏は、私にいろんなことを思い出させてくれた。
一生懸命やってるつもりでも、生きることの意味さえ、無駄な時間の中でダラダラと見過ごしていた情けない自分に「だったら、コッチから迎えに行こうか?」と囁かれた瞬間、大切な物や人がクリアになった。

時間は唯一平等に与えられているなんて聞くけど、それは嘘だ。
使い方によって大きく違ってくる。

だから、価値観の違う人たちと使える時間が重ならなくても仕方のないことだ。
無駄な時間は極力減らさないとね。
全てに限りがあることだから。

身の回りには、庭園にふさわしい人々を集めたまえ。 
あるいはすっかり日の暮れた頃に、一日がすでに記憶となろうとしている夕暮れどきに、 水辺を流れる音楽のような人々を集めたまえ。 
善き孤独を、自由で気ままで軽やかな孤独を選びたまえ。

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