Apr 12, 2013

お母さんのご飯粒

いつも、良くしてくれる看板の制作をお願いする会社がある。
書き文字とか訳のわからないデザインとか仕様とかでも、いつも文句も言わずにその通りに仕上げてくれる。
それも、予算があんまりないときでも、精一杯やってもらっちゃって。

そこの社長さんとはもう長ーいお付き合いをさせて頂いてるのだが、最近、またお仕事で一緒になって、なんだか色々お話ししているうちにこんな話になった。

「僕はね、絵がわからないって思うんだよ」「どうして?好きか嫌いでいいんですよ。分かるとか分からないとか、そんなこと。なんだったら私も一生分からないかもしれないです」

「なんで、そういう事を言ったかというと、僕の兄がね、凄いクラシックファンで、朝、目覚めるともう、聞いてるの。僕は正直良くわからなくて、「兄さん、僕にはこういう曲がわからないんだよ」って、本当はわからないことが恥ずかしくてなかなか聞けなかったんだけど、とうとう尋ねたわけ。そうしたら、「わかるかなんてどうでもいいんだよ。聞いてて、楽しかったり、いいなーと思ったり、これは嫌いだなーと思ったり。それでいいんだよ」って言ってくれたわけ。僕はその時小学生だったんだけど、なんか肩の荷がおりたような、ホッとしたような気がした。もちろんそれから聞いているうちに大好きになったから、今は良く聞くんだけどね。だから、絵も同じように、わからないけど見るのは好きだし、これは好きだな、これは苦手だなという風にしか見れなくて」と。

私は会った事もないお兄ちゃんに感謝してしまった。良かったって。
あなたのおかげで、絵や音楽が嫌いにならなくてすんだ可愛い小学生の弟が、こんなに感性豊かな素敵な大人になってますよって。

それから、「この間ね、食事にいったら隣の男性が「いただきます」って手を合わせてから食べ出したの。僕はねえ、衝撃で反省した。もちろん、心のなかではいつもそう思って食べてるよ。なのに、当たり前のことが出来てなかったんだなあってすごくハッとした。だから、今はちゃんと声に出して言うようにしてる。その時、お母さんがいつも言ってた事を思い出してね。「お米を作るのにどれだけ農家の人が苦労してるか、ご飯粒一つ一つ、残したらいけません。申し訳ないでしょ?」ってね。だから今更だけど気付いて良かったって思った。」

その出来事でハッとしたり、それが当たり前のことなのにって反省したり、反省したから直したり、お母さんの言葉を思い返したり。

その時私は、多分、そんな出来事に遭遇してもなんにも思わなかったり、逆に、いただきますなんて手を合わせるなんて、なにやってんだ、それもレストランで。って思ったりする人だっているんじゃないかと思った。

でも、私はもちろん普通にどこでも「いただきます」って言うし「ごちそうさまでした。美味しかったです」って言う。社長のお母さんの話もうちでも同じように聞かされていたので何の違和感もない。食べ切れなくて残してしまうのはしょうがない時もあるから「すみません、残しちゃって」と言ってしまうし、食べきったのにお茶碗にご飯粒をアッチコッチくっつけて平気な人を見ると、やな感じがするし、それが男の人だったら絶対好きにはならない。

古臭い?

「今は今の人の、今の時代のやり方とかあるから、そんなこと言っても通じないんだよ」とかいう人がいるけど、言わなかったらなに一つ通じないし、それって、時代や世代が違う人に媚びてるだけの気がするし、おまけにそういう人に限って、スマホがいけないだとか、新しいOSが出ても、次から次に出てって文句言ったり、アプリがアップデートしてもしなかったりする。そっちの方が時代に逆行してると思うけどな。

いいじゃん。素敵なクソババアになったって、夢見がちなおじいちゃんになったって。

お仕事でご一緒したのに、なんて素敵な一日だったんだろう!

ありがと。

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