From naive simplicity We arrive at more Profound simplicity.
Albert Schweitzer
上手に切り捨てるという事。
物や人を切り捨てるという行為は、一抹の寂しさを伴う。
これは、単純なお片づけから始まって(例えば、クローゼットの中の着ていない服や、いらない書類なんか)、ムダな時間(例えば、これは人によって異なる価値観があるとは思うけど、テレビの前で見てもないのにぼーっとしていたりとか、あっでも「何もしない時間」と決めて「なにもしない時間」をあえて作るのはちょっと贅沢で、好き)
相手があることなので一番難しいかもしれないけれど、「素敵な時間」や「良質な時間」を共有出来ない人達と過ごす時間。
最近思う。
人生の残り時間が少なくなると、ムダな時間が気になってしょうがない。仕事だからとか、社会人だからというしょうがない理由で、初めて合う人とか何回会っても理解出来ない人とかに未だに出会う。
友達ではないけれど、一応相手を理解しようとは思うが、こちらを理解してもらおうとはなかなか思えない。でも、ある程度その人となりがわからないと、仕事とはいえスムーズに事が運ばないこともある。ごまかすよね、みんな、都合が悪い真実から。でも、だからこそわかるよね、本当はどうなのかが。その時が一番哀しい。まあいい。
距離感が難しい。
旅行先のホテルで感じる、あの自由な感じ。物からも人からも切り離されて、好き勝手できる心地良さ。
あれが、日常的だったらどんなにいいか。
全部、捨てちゃえ!
あーでも、カーミットグッズとか、本とか、万年筆とか、映画のフライヤーとか、姪っ子がくれたミルク飲み猫の置物とか、お父さんからもらったお誕生日のオルゴールとか捨てられない・・・。
くうぅ。
捨てるのは、余分でムダな人間関係だけにするか。
とりあえず。
Sep 26, 2012
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