Mar 30, 2012

Tokay Gecko Award 2012

埋もれてきました。
楽しみでしょうがない反面、選ぶというおこがましい作業をしなければならないという現実。
でも、みんなで手をつないでゴールテープを切るという事にいまいち賛同出来ない私は、やります。

一度、落ちちゃった人がだしてくれるのって、すごくわくわくする。
ちょっと、尊敬する。
私だったらどうだろう?って思ったりするから。
落とされても、またチャレンジできる根性が私にあるかしらと。
おまけに、学校の筆記テストみたいに明確で完全な答えがある訳ではないし、きっと、一次審査が終わった後「なんで、この作品が受かって、僕のが落ちたわけ?」って思ったりもするんだろうな。
それなのに、また、挑戦してくれるってすごい事だと思う。

時々、どうにもこうにも駄目な大人っている。
「ありがとう」とか「お世話になりました」とか言えなくて、主導権だけを取りたくて、虚栄心にまみれて、取り繕って、嘘ばっかついて、あからさまに間抜けになってる人達。
尊敬されるっていうのは難しいことかもしれないけど、どんなにダメダメ君(そんな大人達が思う、社会的に?とか?経済的に?とか?)でも、何かに向かう姿勢とか、譲れない何かとかを抱えた人のほうがよっぽど、私は好き。

「そうするしかない」とか、「それしか出来ない」っていうのを自分で自覚して、だからこそ人からなんて言われようと、どんな風に思われようと、続けてる人の事を私は無視できない。
かっこいいじゃん。

苦しい事とか、哀しい事とかあっても、最後までわからないからワクワクできる。死ぬときに「あー楽しかった。好きなことやってやったし、満足満足。じゃあねー」って死ねたらいい。

だから、Geckoは好きだ。
だから、みんなが送ってくれる作品が好きだ。
私が好き勝手にはじめた公募展だから、みんなも好き勝手にのびのびと、わがままに作った作品を送ってくれていい。

あーしてみたい、こうしてみたい、ああなりたい、あそこに行きたい、こうできたらいいのに。それをなんとか形にするために、グズグズでもノロノロでも自分で行動している人っていい。
でも、いつもいつも、いつまでたっても同じこと言ってるだけで、誰かが何かしてくれたらいいなあみたいな、無駄な時間を過ごすんだったら、さっさと自分で動けよ。ってね。ほんと、無駄。

この間見た映画で「私は誰よりも努力してるのに、誰にも認めてもらえない!そんな気持ちがあなたにわかるの!?」ってヒステリックに叫んだ女性アーティストに、主人公の男性が「それが人生ってもんだよ」と冷静に答えてた場面があった。冷たいようだがあながち否定できない。

本当に努力してる人は「私は誰よりも努力してる」なんて言わないし、多分、思ってもないはずだ。「誰よりも」って誰の事だろうとすら思うし、「誰にも」っていうのも誰に向かってるのかわからない。

まあ、いいや。

とにかく、何よりも大切な1週間が始まる。

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