最近読んだ本の中に出てきた会話。
「僕がこのギャラリーを手に入れるために、どれだけ頑張ったか君にもわかるだろう? 心身ともに、もちろん経済的にも。簡単な事ではないんだよ。やっと手に入れた僕の夢なんだ。僕の人生なんだ。だから、僕のギャラリーの壁には、僕が自信を持って勧めたい作品以外を飾るスペースは少しもないんだよ」
誰が誰に言った言葉かというと、長年の夢だった自分のギャラリーをやっと手に入れた男の人が、
「君の新しいギャラリーに僕の作品が必要だろ? 僕の作品が去年どれだけ売れたと思う? だから、僕の作品で老舗のギャラリーにはない斬新さと君のこれからの成功を与えてあげるよ」
と言って自分の作品を持ってきた若手作家に言った言葉だ。
そういう厳しさと真剣さがどちらの側にも必要だなと、久々に感じた。
そういう事が主体になっている本ではないし、たまたま出てきた会話だったけど何かを思い出した気がした。
遠い日の事になるけど、懐かしい青臭さと純粋さを秘めていた頃。
日々過ごして行く中、雑多なことに紛れて、多分、いつもいつもそれに立ち向かっていく事が辛くなったりもするから、時折どこかに隠して押しこんで「こんなものかな・・・」と、自分を他人の尺度に合わせたりする事が増えたりもする。
きっと大人になるとか、社会の常識とか、なんかいろいろよくわからないけどこんな事なんだろうな。とかなんとか言い訳しながら。
自分を貫こうとすると、風当たりが強くなる。
「君は(本当の事)と(真実)の区別が付いていない。」
「君が思うように、世の中は黒と白では出来ていないんだよ。グレーが必要なんだ。そしてほとんどがグレーだから上手くいくんだ」
昔、別の仕事をしている時に中間管理職の男の人に言われた言葉だ。その頃は「言ってることが全然わからない。こいつ嫌いだ。」と思っていた。
っていうと、今はそれがわかる気がする。というオチになりそうなものだが、思い出す度、やっぱり完全には理解出来ないし、その人の事も嫌いだ。
笑えるほど、変わらないんだなと思う。
だから、やっぱり、自分にも自分が好きな作品にも自信を持とう。
世の中、ほとんどがグレーで出来てるのなら、ほとんどじゃない所に住むしかないな。
ほとんどの人に嫌われても仕方ないか。
結局どうしたって、好きなモノは好きで、苦手なものは苦手だ。
ただ、「なにが、どういうところが好き」で、「どういうところが苦手」かは説明できる様にしている。
せめて、そこはね。
迷いなく引かれた線や、わくわくした希望を秘めた色や、僕を、私を見て!って言ってくる作品達に出会うこの時期、いつも、戸惑う。
お前が決めていいのか?お前ほんとに選べる立場なのかって。
わからない。
でも、ここで、文頭に戻りたいと思う。
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