Dec 3, 2010

That's small graces.

の作品が届いてきた。
すでに欲しいのがある。キャーどうしよう。でも、お客様が最初!

作家の方達は、遠くからでも誘いに応じてくれて、当たり前のように要求されたクリスマスプレゼントでさえ気前よく送ってくれる。
なんて、素敵。

今年はこの作家には何にもしてあげれなかったなあ。とか思いながら届いた包みをあけつつ、来年はこれもしたいし、あれもしたい!と思いながら、梱包材を散らかし放題にする。
あっ。背後から殺気が。

Tokay gecko awardを画策した9年前は、それまで有名どころしか扱った事がなかったせいか、どんなもんだろう?なんてちょっぴり不安だったけど、画商たる者、一緒に歩いて成長して行ける作家を見つけなければ!とか、自分に見る目がなかったらどうしよう?とか、果たしてそんな作家に出会えるのかなあ?とか、まあ、一生涯で一人、いやせめて二人くらい世界に通用するくらいの作品と意気込みがある作家に出会えたら御の字だ!とか、なんだか訳の分からない思いを抱いて、悶々としていたもんだ。

そんでもって、後、20年早く生まれてたらなあとか、1900年代のはじめに生まれたかったなあとか、よけいな事も考えたりもしたっけ。

だけど、どっかに自信があった。私がいいと思った物はいい!って。
私がいいと思ったものは、誰がなんて言ったっていいんだ!って。
根拠は無い。けど、なんだか自信はある。

時々「どこの美大を出たんですか?」と聞かれることがある。
私は作家ではないし、作家にしたって美大を出ている事!という条件もないような気がする。勉強をする事は大切で、知らないよりも知っているほうがいいにこした事は無いが、それよりなにより、そこで出会った人とか世界とかに影響を受けたり与えたりしながら過ごした時間の質が大切なんだと思う。それが、大学でも社会でも世界でも、受け皿を持った人はどこにいても勉強出来るし、持たない人は最高学府にいったってなんにもならない。

という事は、画廊を経営して作家をプロモートする職業である私が美大を出ている必要はない。バーンズもヴォラールもペギーも美大は出ていないが、コレクターには違いない。

身銭をきって作品を買ったことがある人。そんな人しか真剣に作品なんて見ない。だって、作品に自分の大切な対価を払うんだもの。

ギャラリーを正式に開いて18年とかだけど、初めて自分のお小遣いで自分の部屋に飾る絵を買ったのは、小学校の時だ。それも思いっきり低学年。逆算する人がいるので、何年前かは書かないけれど(笑)
銀座の画廊にずかずか入って買ったエッチング。今思えば、その時、そこのオーナーはこんな私にちゃんと作品を見せてくれた。とても、感謝してる。その人が嫌なタイプの大人で、ガキの私に意地悪してたら、今の私はきっとない。

とにかくませたガキだったので、画廊のちょっと暗くてなんだか家とかと違った匂いがして、私にとっての「かっこいいもの」が沢山あって、うるさくなくて、大人な気がする所が大好きだった。そうしてとにかく、壁に飾る額縁に入った自分にとってのちゃんとした絵が欲しかった。他の店とかデパートとかで見た物は、額の中にポストカードとかが入っていて気に入らなかった。

気に入らなかった理由はひとつだけ。本物っぽくなくて、かっこわるかったから。

幼稚園のときには、ゴヤの「サトゥルヌス」の写真が見たいがために、だいっきらいな歯医者さんに通った。待合室に画集があったから。でも、ルーベンスの「サトゥルヌス」は、あんまり好きじゃなかった。まあ、変なガキだ。

話はそれたが、好きな絵が沢山届くとわくわくすると言いたかっただけだ。まだまだ、届く。私の所に送ってくれる人がいる。私の見る目なんてこのさいどうでもいいか。

でも、みんなの事、すごく大切。
別にいいじゃん。

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