ドイツに住んでいる、フォントとかをデザインする人のBlogが、とても好きだ。というか、その人の物事や風景や子供やいろんな物を見る目線がとても好きだ。こんなにも素敵な人がいるんだと、毎回思う。理想的だ。いるんだよなあ、確かに。そういう人って。
写真は、誰でも撮れる。でも、その人がとる写真も好きだ。写真を本業としている訳でもないし、日々のカットを載せているだけだけど、なんともいい。ファインダーはきっと写す人の目線そのものなんだろうな。押し付けがましい写真を撮る人もいるし、自分大好きだから綺麗な花を写しましたっていう感じが反映された写真は、嫌いだ。子犬が好きな私が好き♡みたいな。
自分以外の<物>や<事>に対して、自分本位の感情を押し付ける人が多いなあと最近思う。改めて。そこに存在しているものを静かに見つめて、それはそうとしてとりあえず認めてあげる事が出来る人がこんなにも少ない物かと驚く。なんにでも干渉するだけして、答えを出さずに通り過ぎる。うるさい。外にばかり目を向けて、人の意見ばかりに左右されて。それなら、まだ、ぼーっとしている方がいい。ぼーっとしてみる時間があってもいいじゃん。なんだか、成功とか勝つとかいう言葉を沢山聞かされると、叫びたくなる。誰基準の成功なの?って。私基準じゃそれは成功とかではなくて、ただ単に紙切れに埋もれているだけでしょう?と。成功っていう言葉が嫌いになりそう。っていうかもともと使わない言葉だからいっか。どうしても、ひれ伏すのは<だんごむし>の性能ではなくて、紙切れなんだ。あー住みにくい世の中だぜ。そんなに集めてどうするんだ?どっかの小さな国でも買う気か。私にはよくわからん。世間的にはすごいんだろうけど、私にはよくわからん。マダガスカルに行きたい。私は紙切れを集めるためにあーだこーだ生きるより、まだ見ぬバッタに、いやカナブンでもいいから、私の名前を付けたい。その方がずっと興味がある。スリランカでもいい。わたしのことはほっといてください。と、パンダも言ってるではないか。ね、マーヴィン。
Jun 21, 2008
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