時々..........
「あーこういう絵はねえ」とか「あーあの人っぽいっ作品だね」とか「こういうタイプの絵って、今は流行らないよね」とかという感想をすぐに口にする人がいる。
そりゃあね、そういう人はものすごい眼識をお持ちで、あまたの絵画作品を世界中で見てきて(からのー)その意見だろうであろうから聞き流すが、私の心の奥の奥のほうで青白い炎となって静かに点火する。
あのね、なにもない所に何かを生み出すって言うことは大変な事なんだよ。
誰かの作品に似てるとか、どっかで見た事あるとか感想は素直になんでも言っていいものなんだけど、それ言い出したら「それってビートルズじゃん」とか「乗っかってるメロディーが違うだけでコード進行聞き飽きてるし」とか「モトを正せばゴジラじゃん」とか「主人公が幽霊と会話してるかとおもってたら、そっちが死んでたんだ」とか。
「似ている」と言い出したら「オリジナリティがない」と言い出したら、キリがないもので世の中は溢れかえってると思うんだよね。
でも、それがなに?
目に見えたもの、耳に聞こえたもの、もしかしたら今の自分っていう物に気づく前から刷り込まれてきたかもしれない物でなりたってる私達。
来たことないのに懐かしいとか、聴いたことないのにこころが揺れるとか、意味もないのにキュンとするとか、そんなわけの分からない感じが何処から来るのかきっちり説明できない以上、一見似てるかもしれませんが、似て非なるものなのです。
影響を受ける事って悪いことじゃない。
それをその人を通してもう一度表現する事で変わってくるし、真似っこしたからってソノモノになれる訳でもない。
確実にパクってるなっていうものや、そこに悪意的作為があるものはいただけないけど、二匹目のドジョウを狙ってるなくらいの程度をもってして形を成しているなら、まあ、いいんじゃない?
それって、結構大変な事だもの。
そうして、その分析力と再現能力とマーケティング能力なんかの全てが、一匹目のドジョウを超えたら大したもんだ。
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