Mar 11, 2010

修学旅行

に行った姪っ子が、ホテルのベランダから星を見ていたら問題になったそうだ。
理由は、別に外出時間以外なのに外にいたとかいう訳でもなく、1人で星を見ていたから。夕食の後、友人達とくだらないTVなんか見ながら、女子高生らしくだべっていなかったというのが原因らしい。
くだらない。
その事で、会議まで開かれたらしい。
いじめられたりしてるのかもとか思った優しい思いだと信じたい。

人と違った行動をとる事がどうして注目されるのだろう。
始めて北陸の地に足を踏み入れた女の子が、雪や星に興味がわくのは、わたしにとっては当たり前の事の様な気がする。
むしろ、せっかく行った旅行先でホテルの部屋に入ったまんまで、ロビーやバーにも降りてこない団体旅行客の方が心配になる。
旅行で行った先の始めて訪れるホテル。何てわくわくするんだろう。部屋に閉じこもっているなんてもったいない。そこが、高級リゾートで問題なく部屋で楽しめる環境(テラスが広く、庭にプライベートプールがあって、いつでもボーイさんがカクテルや食事を持って来てくれて、そこに20日もひと月も滞在できる様な、ゆっくりした本当の意味でのバケーションを過ごせるなんて環境)なんだったら別だけど、普通のホテルでそれはないでしょ。

余裕のある教育とか実施されたらしいけど、どこに何の余裕を与えたのか不思議だ。余裕ってそもそもなんなのでしょう?そんなものは持てる様になってから自分で作るもので、人から押し付けられた無駄な時間の事をさすのではない事くらい、誰でもわかる。

学力が低下している。受験地獄なんてかわいそう?
それは、本人がどんな風に生きて行きたいか自分で決めればいい事だ。
医者になりたければ、それなりに努力もしないで人の命に関われる仕事が出来る訳がないし、弁護士になりたければ1日のほとんどを費やさないと、合格なんかしない。パティシエになりたければ、体力にしても感性にしても相当の努力がいるんじゃないだろうか。必死になる時期があって何が悪い。

どんな風に生きたいかわからないんだったら、自分を見つめながら、目の前にある事を片付け続けるしかない。そのうちに見つかるかもしれない。

周りや年齢や、いくつになったら結婚するべきだとか、いくつになったら独立するべきだとか、そういう事ばっかり考えて生きる人にはなってほしくないというのが正直な気持ちだ。男だったら家族を養うべきだとか、女に数学は出来ないとか、男の方が車の運転はうまいとか、女は地図を見れないとか、どうでもいい意見を聴く気はさらさらない。

個体差。

先生というのは主役ではなく、子供たちの補佐役で縁の下の力持ちのはずだ。何年か何十年かして、例えばその子が壁にぶちあったったり、なにかで成功したりどっちでもいい、そんな時に「あの先生がいてくれて良かった。あの先生に会えてよかった」と、その子の胸にわき上がった素直な思いによって、始めて本当の『師』と呼ばれるものになれるんじゃないだろうか。

そっか、その時彼らが思い浮かべるのは、先生という職業の人じゃなくてもいいんだ。近所の駄菓子屋のおばあちゃんでも、うるさかった隣のおじいさんでも、公園で出会ったお友達でも、クラブの先輩でも、一風変わった親戚のおばさんでも。

安心して、自分らしく生きて行くといい。小さな世界で物事を判断せず、自分に正直に他人を思いやって。それが出来てるうちは私は君が間違ってる何てちっとも思わないし、1人で星を眺めてったって何にも心配なんかしない。むしろいろんな事に興味を持って、不器用だけど自分らしく生きている君の方が好きだ。

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