レイ・ブラッドベリ
レイ・ハリーハウゼンは高校時代からの友人だそう。
ウは宇宙のウ(R is for Rocket)という短編のなかに「霧笛」という短編がある。もちろんどの短編も素敵なのだが「霧笛」はとても好き。
SF作家というと、それだけで嫌いな人もいるかもしれない。ブラッドベリはそういうくくりではない所がいい。もちろん宇宙の話だったりロケットが出て来たり、荒唐無稽な感じの出演者が多いが、読後感はSF小説を読んだなって感じではない。
孤独という事を(この場合の孤独というのは、1人ボッチで寂しいなとかそういう物ではなくて、人が生まれてから死ぬまで当然抱えてゆく当たり前の孤独の事)こうも美しく、確実に、悲しく、切なく、儚く文章で端的に表現できているのは、この「霧笛」が1-2を争うのではないかと思う。(私が物心ついてから読んだ本の中での感想なので、もちろん読んでない本もあるから、只の私の意見に過ぎないが)
いつも子供の頃から感じている、自分の中にある深淵。
毎日そこに旅する事が、悲しくもあり切なくもあり、しかし、孤独を満喫するには密やかな喜びでもあった。が、それを人に伝えようなどと思った事などない。その深淵の深さと暗さと眩しさと、どんな事をしても抗えない時の流れを、ブラッドベリは見事に言葉で表現している。と、私は思う。
素敵だ。
ハリーハウゼンも大好き。「Crash of the Titans」がもうじき公開される。今度は、サム・ワーシントンが主役の実写だ。
ハリーハウゼンのストップ・モーションでのメドゥーサもかっこ良かったが、今度のメドゥーサもすごそうだ。クラーケンとポセイドンの大きさがいつも気になる。ハリーハウゼンのストップ・モーション映画は、まあ、そこがまたいいんだけど。
目に見えなかった世界が、誰にでも簡単に映像として見る事が出来る様になった事は大変好ましい事だ。
でも、どんなにすごい3D映画が出来てきても、子供の頃、暗くなるまで読みふけった本たちの映像世界は、私の脳みその中には、現実と見まごうばかりにすでにくっきりと出来上がっている。
あの頃読んだ大好きなお話たちの映画を見る時は、私の妄想世界にはたしてどれだけついて来れるかな?何て思いながらいつも見ている。それが、とても楽しい。
Jan 28, 2010
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