幼稚園の頃、塗り絵の時間に空の部分を「ソライロ」と名のついたクレヨンで塗りなさいと言われて塗らなかった。違ってたから。その後、何度も同じ様な事があってよくお母さんが呼び出されていた。「おたくのお子さんは子供らしくなくて、頑固で、怖い」と。ほっとけ。
ノートにも、鉛筆にも、消しゴムにも、お花にも、受話器にも、Macにも・・・ましてや人間の顔のまわりになんて黒い線なんて見えない。世の中に存在するものには輪郭はあっても輪郭線なんてない。画用紙に黒い線で物を描きだす事も、私にとっては変な感じだった。「よく見て描きなさい」などといわれようものなら、よく見たらもっと描けません。と、自分の才能のなさを棚に上げて真っ白のまんまで何時間も粘ったりした。
なのに、それが上手にできる人がいる。線が美しい。コップもお花もスリッパでさえ、その人の手にかかると、綺麗で簡潔な線で表現されていて、色さえ見えてくる。
「これが才能なんだな」と思う。描かれているものに愛おしささえ感じるが、物に対する作家の思いを決してこちらには押し付けてはこない。
そんな風にさりげなく存在するもの達への愛情がミズミズしく気持ちいい。
みんながいつも見ているもの、何て事はない物が、その人を通して作品として写し出されている。こういうわかりやすい物が描かれていて、それでいて威圧感のない作品は、ともすると、簡単に思われてしまいがちなのかもしれない。
「出来そうで出来ない」「出来そうで出来ないを形に出来る」
その差は大きい。と、三根弘子さんの作品を見ていて思う。
簡単に見える事の方が、やってみると、難しいものなんだ。
試しに、鉛筆をもって線だけで目の前にある何かを描いてみて。
上手にデッザンが出来たら美大に受かるかもしれないけど、それだけじゃあ作品にはならない。そんなもんだ。
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