旅行に行くとき、大部分の人は行く前に、まあ、まず「なんとなく、こんな気分だからあそこに行きたい!」とか、「あそこに行くなら、飛行機はこれだ!」とか、「ついたら、あれとあれを見て、あれとあれを食べて」とかいろんな計画をたてて、以外とそれも楽しかったりする。
でも、その時「自分の位置」つまり「出発地点」を、簡単に言えば「自分が住んでる位置」を知らない人はほとんどいないだろうと思う。
そこがはっきりしないと、どこにも行けないし、計画すら立たない。
地図を見る時は、今、自分がどこにいるかという事をまず確認しないと、北だか南なんだか、上だか下なんだか。
どんなに、詳細な地図を手に入れたとしても、どんなに詳しくて親切な列車の時刻表を手に入れたとしても、はてさて、どの列車にのればいいのやら。
自分の「今いる位置」がわからないんじゃあ、いいものを手に入れる方が余計つらい感じだ。活用できないんだから。
そんな事、当たり前じゃん!とみんな思う。多分、旅行や地図の話なら。
でも、日常を生きて行くという事もざっと言っちゃえばそういう事だと思う。と言うと、なんだか雲行きが怪しくなる。
「自分」や「自分の位置」(物理的なものだけでなく)が、わかってないと何も出来ない。どうやって一歩を踏み出す?足場もないのに。
足場さえ、立ち位置さえ自分が知ってれば、もしも、落っこちてもまた始められる。足場の感覚さえ自分で把握していれば、ぶれる必要はない。ぶれる必要がないばかりか、今度は自分で足場を選べたり、作り出したりさえできる。
旅行先にいって「ガイドブックは嘘つきだ!全然おいしくないじゃん!」とか「ホテルの部屋の水の出が悪かった」とか言ってる人もいるけど、別に良くない?人が書いたガイドブックを信じた自分と、日本のホテルの快適さに慣れていて、別の国に来ているという事実を受け入れられないんだったら、次に、どっかに行ってもきっと楽しくない。同じ事の繰り返しだと思う。
もしも、作家だったりしたら、それこそラッキーじゃない?水が出なくても、ご飯に虫がはいってても、全部全部、自分の経験も思いも不平不満も、作品に塗り込めちゃえ! そういう形で人に伝える事が出来るなんて普通の人には出来ないんだから。
だから、まずかったレストランの笑い話ならいいけど、たらたらといつまでもまずかった事に関して文句を言ってると、「あれっ、でもそれって、あなたが自分で選んだんだよね?ってことは、あなたの選択能力に問題があるのでは?」なんて、
思われかねないよね。
おまけに、そんだけ文句言うんなら、その時、そこのスタッフないしコックさんに「虫、入ってましたけど!」とか、「あなたはオススメ料理と言ったけど、あまりに私の口には難しいので、申し訳ないが他のメニューにしたいのですが。」と、現地の言葉でキチンとコミュニケーションをとって、解決しようとしたのか?
それが出来ないくせに、文句だけ言うのはかっこわるい。
それが出来る人は、いつまでもたらたら言わない気がする。
貴重な経験として笑い話にしか、ならない。
私は時々、不思議に思う。
旅行に行く時、自分の予算にあった飛行機やホテルは簡単に探せるくせに、自分にあった旅行の楽しみ方は、なかなかスマートに探せないみたいだ。
それに、ファーストクラスを使ったからといって、現地について困った事が起こったりなんかしたら「私、ファーストクラスにのって来たのよ」なんて何の役にもたたない。まして、それが始めての旅行だったら、エコノミーやオープンで必死に工夫して、その場所に行きたくて行きたくて努力して何度もそこを訪れたことがあるバックパッカーの方が、とてもスマートにお役に立つ事になるでしょう。
だから、今の自分の位置をいつも明確にするために、自分の事をもっと冷静に沢山考えてあげてほしい。あなたはあなたを見る他人より、あなたの事を良く知らないんじゃないかとも思う。
でも、全て「そこから」でないと「どこ」にも行けない。
子供の頃、母親から「まーちゃんの好きな物をお母さんに100個教えて」と言われた。その後「じゃあ、嫌いな物も100個教えて」と。50個くらいまでは簡単で、100個にたどり着くのがなかなか大変だった。
ノートに沢山書いた。
少し大きくなったら、
「理由も、教えて?」って言われた。
Nov 1, 2009
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