ご他聞に漏れず私も就任式を見た。お風呂上がりに。
ワシントン広場にあれだけの人が集まって何かに向かって意思表示をしている光景は、昔どこかで見たことがある気がした。それはベトナム戦争の時ではなかったか。もちろんタイムリーではなく、繰り返し流された映像の中で。映画でもフォレストガンプのなかで再現されていたと思う。
時代が変わったと。それは始めてのアフリカ系アメリカ人の大統領が誕生したからそう言うのだろうか。大変な世相を反映して行きどころのない不安や身の回りの現実を直視できないくらい先の事が解らない今、人々が何かに頼って、まるで救世主が登場したかの様に感じているらしい。モニターで見ていても人々の歓喜の中、何かが変わったかの様な風を微かに感じた。
では、何が変わるのか?景気が良くなる?人種差別がなくなる?医療制度が?老後が?歓喜する人々に聞いてみたい。何が変わるの?何を変えたいの?誰が変えるの?そう、誰が。
沈没しそうな船が一艘、嵐のただ中に漂流していました。嵐は当分吹き止みそうになく、夜の帳もおりてきました。その船は最新鋭の豪華客船で沢山の人々を乗せて楽園に向かって出航したのでした。しかし、まさかの大嵐のなか、前後左右も解らなくなり、船長になるべく最高の教育を施された船長でさえこんな事は始めてで、なす術もなく途方に暮れてしまいました。
乗客の恐怖はますますつのるばかり。あきらめのため息と将来を悲観したハグだけが船内の風景になってしまい、バンドも音楽さえ止めてしまいました。その時、小さな南の島で漁師をしている若者が立ち上がりました。そうして「僕は豪華客船に乗ったのは今回が始めてで、最新鋭の機械の事は解りません。でも、家族のために魚をとるため海には毎日出ているし、嵐の海も経験した事があります」乗客はその若者が何を言っているのかすら気にかけませんでした。それでも彼は「でも、どうにかして助かる様に、なんとか助かる方法を、いや今の状況より少しでも良くなる様に、ちょっと僕の意見を聞いてください」と言い続けました。
そのうち、悲観に暮れているだけの時間に嫌気がさした乗客がひとり、またひとりと、耳を貸す様になると、なんだか、勇気がわいて来て、何もしないで結論を出すよりまだましなんじゃないかと思えて来たのです。そうして、若者は操舵室に船長を訪ねます。「機械が故障しているのでしょう?でも、船というのは海に浮かぶ様に出来ています。僕にはそんなことしか解りませんが、人間の手でこの船を操る事は出来ないのでしょうか?」船長は「こんな大きな船をたかが人間の手で、どうしようっていうのだ。もう、何もできないよ」と、操舵室から出て行ってしまうのでした。大きな船をたかが人間の手でどうにもできないなら、たかが人間の手でも動かせる物はなにかないのだろうか。そうして、協力的な船員の仲間と非難用のボートを探すのでした。
幸い、ボートは乗客全員が乗れる十分な数が用意されており、嵐の海とはいえこのままここで何もせずに沈んでゆく事を考えて泣きながら過ごすより、何とかなるかもしれないと思った乗客は、若者の指示に同意して、ほの暗い海に微かな希望を見いだして喜びました。
その時点で、その作戦が唯一無二の賢くすばらしい作戦かどうかなんて、誰にも解りません。乗客は若者の指示に従って、救命ボートに乗り込みました。ボートの中にはそのボートに乗船した人数と同じだけのオールが置いてありました。
それを見て、「私は女性だから、漕げない」という人、「年寄りだし、子供もいるし」という人、「オールなんて触った事もないから」という人。
さっきまで意気揚々と乗り込んだ事も忘れ口々に不平を言い出すしまつ。
その時若者は、大きな声で叫びます。
「あれだけ最新設備の船が壊れてしまったいま、その船が皆さんの命のよりどころです。あの船では助かる事を望めなかった。だから、助かるかどうか保証はないけれど、今より一歩前へという気持ちでその船を選んだのではないのですか?船に乗った人数はそれぞれ10人前後です。その中で、助け合って、工夫しながら協力できないんだとしたら、助かる可能性などありません。私は漁師ですから船を漕ぐ事には自信があります。そうして、星をみて楽園の方向も指し示す事ができます。しかし、私は一人しかいません、みんなの船を漕いであげたいけれど、出来ればそうしたいけれど、物理的に無理です。オールは皆さんの手の中です。一人一人が助かる様に努力しなくては楽園につく事はもちろん、今晩の嵐でさえ乗り切れるかどうかわかりません。でも、この嵐をやり過ごせなければ、楽園はおろか、土を踏めるかどうかもわからないのです」
そうやって、大統領がそこにいる一人一人にオールを渡した様に私には見えた。
そうして、自分がオールを渡された事に気づいている人は、何人いるだろうと思った。それから、嵐になる前から、いつもみんながそんな意識を持っていれば、もっと強い心で嵐に立ち向かえたはずなのにと。
もしも、政策や状況が思ったほど好転しなかったとしても、その責任をこの喜びの喪失感と勝手に合わせて、1人の人のセイにしないといいのだがと。彼は期待させたのではなく、期待して賛同したのは自分なんだと、今日のこの日を覚えておいてほしいな。
Jan 22, 2009
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