最後の企画も無事終了。
クリスマスパーティも、お忙しい中のご参加ありがとうございました。
みんなオシャレさんにして来てくれて楽しかった!
パーティ好きな家で育った。
何かがあると、いや、何もなくても非日常を演出する事が大好きな母の影響だな。
私の誕生日パーティに呼ばれる子供は大変だったに違いない。子供なのにドレスコードがあったりした。ド派手なご馳走と飾り付けに目を丸くしていたクラスメートの顔を覚えている。誕生日パーティに呼ばれたはずなのに、帰る時は逆にプレゼントを沢山抱えて帰っていってた。
時折、そんなクラスメートの親御さんから苦情が来た。
「来年からは、行かせません」と。
母は哀しそうにしていた。苦情の理由が「ウチとお宅では、違うのだから、こんなに甘やかしたり派手な事を覚えてもらうと、うちでもしてあげなくてはいけなくなるので、困る」という事だったからだ。母は「大人になったら、自分が望むと望まざるとに関わらず嫌な現実が訪れるのだから、せめて子供でいられるうちは、沢山、沢山、夢の様に育ててあげたい。そうしたらつらい事があっても、楽しい想い出の貯金が沢山ある程、乗り越えていけるのに」と。しかし、だからといって他の所で、大切な部分で、甘やかされて育った訳じゃない。
でも、そんなパーティもある程度続けて行くとそれを楽しめる家族と子供たちが集まる様になって気兼ねなく楽しめる様になった。そんなものかもしれないなと子供心に思ったもんだ。今だから言うけど、本当は、楽しそうにプレゼントや料理や会場の準備をしてる母をみて、違うッて言われる様なことしなくてもいいのに・・・なんて思った事もあった。ごめんね。
でも、今は私が見事に受け継いでる感じだ。夢の様な時間やちょっと甘やかされた感覚が大人になっても味わえるなんて、ちょっとばかり素敵だと信じてる。
なにがおこるかわからなくても、楽しい事もつらい事も哀しい事も、全て一瞬の人生のただの彩りだよ。過ぎてしまえば同じ事。想い出っていう引き出しに片付けられるだけの事。
だったら、何にもないより色々あった方が、引き出し開ける時の楽しみも増えるってもんだ。
笑って過ごそう!泣きわめいて過ごそう!
出来れば自分のためだけじゃなく、自分以外の人のために。
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