Oct 19, 2008

模倣犯

その人らしさって言うのは、どういう事なんだろう?

生きている間中、外からの刺激を受けて形成されていくのか、それとも、湧き出てくる何かを押さえきれないのか。
とりあえず、なんでも興味がある事に首を突っ込んで、そのあと、一度自分の中にいれた物を、必要か必要でないか振り分けて、そのうち、そぎ落として、もともと持っていた感性に磨きをかけることで出来てくるのが「その人」だったりするんだろう。

皆さんご存知だとは思うが、ピカソやブラックが一緒に作品を作ってたことがある。同じモチーフを同じ構図で。しかし、今、見ても確かに似ているのだけど、明らかにどれが誰の作品かはっきりわかる。その中にはどうしても「らしさ」が出ているから。好みの問題はあるが、優劣を付ける程ではない。似ているというのは、ある意味、同じではないという証拠ではないだろうか。

「客観性」と「他人を意識する事」は違う事だ。
まず、立つ位置が違う。
模倣とは、他人や他の物をまねる事だけだろうか?目に見える物をまねたとしても、本質をつかんでいなければ、ちっとも似せる事なんかできない。不細工な芸人がハンサムは俳優さんの物まねをしても、似てるかも!と思わせるのは、表面に見えている事だけをまねしてるからではないんじゃないかと思う。蝋人形館に展示されているブラピもアンジーも似ているけど似ていない。

詐欺師も模倣犯もものすごく頭が良くないと一級品にはなれない気がする。
嘘つきだって、嘘つきだと指差されるようじゃあ、りっぱな嘘つきにはなれない。一級品の嘘つきも、一級品の善人も、一級品になればなるほど努力の度合いは同じなんじゃないかと思う。ただ、自分を騙すのか、他人を騙すのかの違いの様に思えるかもしれない。しかし、どちらも本当は自分だけを騙しいている事に気づかなくては、本物じゃないよね。

他人を騙してでも自分に嘘をつきたくないのか、他人は騙したくないから自分に嘘をついて耐えるのか、他人にも自分にも嘘をつけないで中途半端な結果をだすのか、他人にも自分にも嘘をつかないで、本当に生きて行けるのか。他人にも自分にも嘘をついて、華々しい結果をつかんで、賞賛されたいのか。なんでもいい。どっちにしても、ばれる。

子供にでも大人にでも、別に、鋭い人にじゃなくても、どこがどうとははっきり分らなくても、嘘や中途半端は他のどれより、確実にばれる。いがいとあなどれないものだよ。世間は。
そう思うと怖くなって、なるだけここだけはって所だけでも必死に生きる様になって、そうして、そんな風に生きてる人たちに太刀打ちできなくなる様なはずかしい事はしたくないって思う様になる。
そうしていくと、そういう事は気にしなくなる。

相手が嘘をつこうが、善人だろうが、どうでもいいことだ。
どちらにしろ本当は騙してるのは自分だけだってことに気づけば、それを止めればいいんだから。他人目線で自分を愚かにする事だけは止めた方がいい。それはそうとうに、無駄だとおもうから。

やるなら、なんでも、中途半端だけは止めた方がいい。
それなら、決して誉められる事ではないが、むしろ、嘘を突き通した方がいいときもある。
まあ、私はどっちも嫌いだからどうしようもない事ではあるが。

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