WEBのニュースで日本の中堅生保が破綻したという記事を読んだ。
3000億近い損失だと言う。その生保がどんなシステムで動いていたのかわからないが、米金融危機に伴う市場の混乱で保有株式などに多額の損失が生じた事がその原因らしい。サブプライムローン。子供に新しい言葉を覚えさせる様に、毎日毎日当たり前の様にニュースも新聞も書きたてる。まるで、その言葉を使えば、その言葉を国民に覚えさせれば、なんだかその後何が起きても説明が簡単になるかのような一種のサブリミナル効果みたいだ。
会社というのは良い時も悪いときもあるはずで、どんな小さな会社でも大手でも中小企業でも、花屋さんでも八百屋さんでも、入ってくるものと出て行くもの、単純に言えば、もっと早く何か手が打てなかったのかと、疑ってしまう。
もし、私が腕利きの投資家だったら、今は何が何でもしのぐんだと言うだろう。そうしてこれから3ヶ月くらい自力で生きていける資金調達をしろと言うだろう。今まで当たり前のようだった'銀行だけがたより'みたいな、古くさい調達方法では限界なのはもう分りきってるんだから、それ以外にも色々あるって言う事を必死で模索しろと思う。日頃からリサーチしておけと。
いつも思う。会社の体力は資力だしその会社の価値だ。外的要因のみで大損失を起こす様な会社は、もともと毎日、いや、毎時間、真剣に自分の会社の生き死にと本気で向かい合っていないからだと思う。そうして、自分の会社が死ぬってことがその会社に関わってる人や、それ以外の人たちにでさえ、どれだけの迷惑をかけるかという事すら、日々追われる様に、本当に死にそうなくらい考えたり行動したりしてないだけだ。それだけの会社だ。
大手だから、中小企業だからなんて関係ない。
大勢の人間がいないと出来ない仕事は沢山ある。しかし、人間が集まれば集まるだけ、ただでさえ雇われの身で安楽としている人が混じってしまうと、責任感の希薄さは止めどがない。
日本の会社は集団の一人に対する仕事の質が低い気がする。
出来る人間は、一つの事しか出来ない訳じゃない。その仕事に関わる事がすべて出来るかもしくは把握くらいは出来ていて、且つ、与えられた業務についてプロフェッショナルでなくて、どうするんだろう。
これからは、こんな仕事をしたいから社員は10人必要だね。なんて会社はまず存在できなくなるだろう。
普通の人間が10人必要なら、その内容の仕事を5人で、いや3人でもこなせる能力を備えた会社でないと、無理だ。
そうして、その会社のトップは、物理的に時間的に限界があるだけで、それをのぞいたら、自分の会社のシステムくらい一人で動かせるくらいの、知識と機転と行動力と才覚と責任感が必要なんだと思う。それと孤独な恐怖心と。
だれでもが簡単にトップになれる様な時代は、もう、とうに終わっている。
私でも気づくのに、頭の良い人はもっと気づいても良さそうだ。
自分に直接降りかかってこないから?
そんな危機管理能力でどうするんだろう。降りかかって来てから考えても遅いのに。というか、確実に気づかないだけで浸食されているのに。目の当たりにするまで、怖くないんだろうか?
そんな考えかたが、日本や世界に蔓延する限りどの問題もどうにもならない。触れないでおこうと思ってたけど、なんだか久しぶりに憤りを感じる。
小学校のとき、校長先生が朝礼の時いつも言っていた。
「私が苦しいときは、みんなも苦しい。そこで、止めるかやり抜くか。根性のある人になろう!」
ダサイが、何度も助けられた。そうなんだっ!って。
校長先生、ありがとう。
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