また、作品に埋もれてぎりぎりまで悩んでいる。
Tokay Gecko Awardは、作品以外何も関係なく判断される。だから、とても悩む。一応、大体の感じはわかる。というか、いつも描いてる人なのか、今回描いてみたのか、年齢はいくつくらいなのかだとか。
プロになりたい人とか言うと、どういう事だろう?と思う人もいるんだろうな。社会的に言えば、プロフェッショナルっていうのはその道で生きていきながら、ご飯を食べれる人の事だと思う。その手助けができればなあと思いながら、そんな事考えなくてもみんなが大好きな絵やその他の事を続けられたらいいのにな。とも、思う。
夢や希望は無いよりはあった方がいいのかな。
すぐに、どうこうなる世界でもないし、まあ、たまにどうこうなる人もいるんだろうけど、絵を描く、彫刻を作る、布を染める、映像を作る、なんでもいい。テクニックとか受賞歴とか大切だとは思うけど、そこは本人の努力次第でしかないから私が協力できる所ではない。
いつも思う。いろんな事に興味を持って、いろんな事を経験して、いろんな場所の作家やアートに触れてもらいたい。旅をしたりなんでもいい。本を沢山読んでもいい。写真集でも絵本でもおもちゃでも、看板でもフォントでも。できるならゆっくりでも。
何年も、同じ作家の人たちが来てくれて、ずっと見てる。彼らも大人になる。学生の頃とはちょっと違ってくる。せつない気分になる。自分の中からわき上がってくる不安や悩みだけなら、ちょっぴり余裕で笑えたかもしれない。でも、今は、社会や家族や恋人?や自分の年齢や、自分の力だけではどうしようもない不安から目を背ける事ができない時もあるだろう。Geckoの時期になると嬉しいのにオセンチになる。もっと、もっとと自分にハッパをかけながら、いつも同じ無力さを抱える。繰り返しだな。
作家として死んでいける人ってどのくらいいるんだろう?本当は、他人にどう思われようと社会的にみとめられなくったって、本人がやり通したんならそれでいいんじゃないかっていう思いもある。しかし、ここは心を鬼にしてプロを目指している人を探すしかない。だって、学生だった作家の卵たちが、個展でお客様に絵を買ってもらって、やっぱり誇らしげに嬉しそうにしている姿はいいものだし、それがあれば、また絵の具だって買えるし、そのうち欲しい物も買える様になったらいいし、生きたい所にも行ける様になったらいいし、そうしてまた、絵を描いてくれたらいいし。私は本当に作品たちが好きだ。できる事なら一つ残らず私が独り占めしたい。お客様が買ってくれたら嬉しいけど本当はちょっぴり哀しかったりもする。ほんとはね。でも、そんな事言ってたらだめだものね。
でもね、レコルテのお客様は、私とおんなじくらい作品の事好きでいてくれるから大丈夫なんだ。そんな人しか来ないしね。できる事を、できる人が、出来る範囲でやって、ちょっぴり大人になってほんのちょっと余裕が出て来た人が、また、みんなを応援してくれる。そうやって続けていく事が大切。どんなにかっこいい事言ったりやったりしても、続かなかったらみんなを不幸にする。気がする。
Apr 6, 2008
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