新しい年になって、2週間。私達の頃は15日が成人式だった。
今のほうが合理的なのだな、きっと。
と書いたところでKCRWから、Umanの「Atmosphere」が流れてきた。
外の雨と似合っていて、一気に17-8年近く前にタイムスリップしたみたいだ。
Umanのファーストアルバムが大好きだったのだけど、私は正直、ファイリングとか物を大切にするとかいう事が苦手なので、CDを車に持ち込んだり、他のCDのケースに入れたりとかしているうちになくしてしまった。ケースだけある。なんでも「失くしちゃったらまた新しいの買っちゃえばいいしー」と思っている人だったので、こりゃ失くしたなと思った時探した。ない。そう、ファーストアルバムだけない。結構探した。フランスに行った時も探した。ない。今に至る。
最近何かのコンピレーションアルバムに「Atomospher」が入ってるようで、だからKCRWでもかかるんだなあと。そのアルバム買えばいいじゃんと思うかもしれないけど、なんか、ね。やっぱ、アルバムっていうのは、全曲、アーティストがいろいろ考えて作っている訳だから、通して聞きたいと思ってしまう。
何を書こうとしていたかというと、年明けから2週間たったなあ、ということだった。
よく、時間がたつのは早いねえとかいう言葉を聞く。ところが、その何十年分の時間の蓄積を確認しようとすると、てんで、薄っぺらい気がする。いや、決して薄っぺらく生きてきたわけでもないし、いろんな事があったのだが、なんだか時間の経過を確実に確認することが難しい。
思い出とか記憶の中には、鮮明に息づいている何かがあるのだけれど、うーん、どのくらい昔だったのか、最近のことなのか、時間の流れが実感として感じられない。その時の時間も今も、変わっているのか変わっていないのか、定かでない。
だからといって、これからの時間の心配だとか計画だとかを計算出来るタイプの人でもないので、どうしていかわからない。
不測の事態に陥ったにもかかわらずだ。
去年とかは、なんとか身体の事を第一に、ムリをせず、なんて思いつつ日頃の事を片付けていたけど、まあ、それには理由があって、ちょっと動くと何日も寝こむからで、ただ単にしょうがないからそうなってるだけなんだけど。
とにかく、でも、それって、必要以上に長生きしようとか、見えもしない、わかりもしない未来に向けた行動のような気がして。
明日死んだら、今日の事を後悔しないのか?って問いかけると、全く違った答えになる。
ストレスがイケナイ。とか言われるけど、今やりたいことや行きたいところを我慢するほうがストレスだったりするし、今日一日、仕事もプライベートも好きなように生きたい、と、思う私にはとてもとても。明日のために努力することは結構好きなタチだから、大丈夫なんだけど、行き着く先もわからない未来の為に我慢するということは苦手だ。
きっとみんなも、おんなじ感じなのかな。
絵描きが将来設計を緻密にたててるとは、思えないしな。あっ失礼。
不甲斐ない自分に対する言い訳に、大人げない仲間を探してみました。
きっと、みんなのほうがしっかりしてるんだろうな。
しょうがないから、昔の哲学者の本でも読もう。
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