どれだけ時間がたってもお互いを尊重して「ありがとう」と言ってくれる人がいる。
立場が上でも下でも、そんな事は関係ない。
そもそも、立場なんてどうでもいい。
ある作家が、
「いろんな人から「個展をやったらっ?」って今までも言われてたんですよ。でも、場所を借りたりしてやるのならいつでも誰でもできるから、それはちょっと・・・って思っていたんですよ。ギャラリーの企画でやりたくて。だから、今回のこの個展は、なによりそれがものすごく嬉しいんです。それも初個展ですから、僕にとって。」
人間には誰にでも感情があるでしょ?
私にも、もちろんある。
この作家はこうも言った。
「グランプリをとってから、個展までの期間が短く設定されてるじゃないですか。これって、プロ意識があるのなら、いつでも個展の準備が出来てて当然だってことですよね。僕はそう読み取らせてもらいましたけど。」
何年も何年も公募展をやってきて、初めた頃は「学生に毛が生えた程度だから、何も知らなくて当然なんだろうな。作家としてはもちろんひよっこだし、まだ社会に出てるわけじゃないし、他の仕事して、もまれた事があるわけでもないからしょうがないんだろうな。」と思って、これからいろいろ覚えていくんだろうなあ。と。
回を重ねる度に、参加者が増えるたびに、その考えは変わっていった。
いや、これは個体差だ。ただの個体差なんだ。
学生だから、若いからと大目に見てきた事や目をつぶってきたことが、学生でも、若くてもきちんと出来る人が沢山いる。
そんな人達は、多分どんな職業についても、もちろん作家でもやっていける人達だと思う。自分に厳しく、ともすれば楽な道に流れていきそうなときでも自分を律して努力出来る。
この間お会いした韓国の作家の人が
「今、英語の勉強をしています。毎日、前の日がどんなに遅くなっても、朝、1-2時間。少ししか時間が取れませんが、少しでも積み重ねていけばいいと思います。コップに水を貯める時、一滴、一滴だと遅いように思いますが、その一滴がいつかあふれる位になるでしょう。そのための一滴なので、少なくても大切です。」
言う事は簡単かもしれないけれど、それを実践して生きている人に言われると頭が下がる。そうしてその作家は、日本語の勉強も8年前に初めて、もちろん今は私達と日本語で会話が出来る。
努力を惜しまない。もちろん出来る範囲でいい。初心を忘れない。自分の今を客観的に見ることができる。今の自分に足りないものがわかる。
誰にでも感情がある。
だから、そんな作家達と一緒に歩いて行きたくなる。
私も、ちっぽけな一滴一滴を注ぎながらここまできた。
みんなに助けられながら、応援してもらいながら、時には申し訳ないほど迷惑もかけながら。
いつごろから、どんなきっかけで人は自分を見失うんだろう。
努力しても努力してもし過ぎることはないし、だからといって全てを手に入れられる保証もない。近道もないだろうし、そう見えて森に迷い込む可能性だってある。
自分で始めたんだったら、最後までやるか、後悔しない自信があるんだったら、あきらめればいい。「辞めればいい」ではなくて「あきらめればいい。」だ。
誰に強制される事でもないし、ましてや、だれも強制しない。
「私にこのような機会を与えてくれたすべての方々に感謝します。」と言って、韓国に滞在してる作家。
この一言が社交辞令でないことが相手に伝わる人間が、みんなから可愛がられるのは当然だと見ていて思う。
この作家も一滴一滴、確実に毎日グラスに注いでいる。
日常を生きながら、ジタバタしながら。
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