はるさんの個展も今日で終わり。
なんか、動物達が帰っていくのが寂しい。
特に、非売品のでかい作品たちが大迫力だったので、みんな今度会うまで元気でねって感じ。
お客様のなかに「最近、動物ものがつづくなあ、って思ってたけどみんな全然違うから作家の人ってやっぱすごいね」って。
不思議だよね、本当。当然のことなんだけど、それぞれの世界感があるし被写体が一緒でも同じ写真にならないのと同じだよね。
今年も残すところあと一つ。
作品も続々と届いてなんか幸せ。忙しい仕事とこの作品達とどっちが自分の日常だろう?とか思うと、もちろんどっちも現実なんだけど、作品に埋もれてニタニタしてる私の方が、よりリアルな日常なんだと思えて、こんな時間が持てるなら他のことなんて何でも出来るさって思えるバランスが、本当にありがたい。
他の人にとっては、家族とか子供の成長とか犬との時間とか、いろんなことが荒波に立ち向かうパワーになってるんだろうな。
お誕生日に、(わたしに会うと)「いつも何となく楽しい気分になれます」とメッセージをくださった方がいて(それも、ちゃんとした大人!の人だよ!)自分ではそんなこと考えてもなかったので、うろたえてしまうほど嬉しかった。ちょっとでもそんな風に思ってくれてる人がいるなんて、ありがたすぎる。
私にも、みんなの作品がいつも元気をくれる。
おまけに1月も2月もよさげな個展が決まってて、それも早く見たくて(見せたくて?)しょうがない。
わくわくだ。
絵や音楽や映画、綺麗な物や変な生き物、ぬかるんだ道だって晴れた空だって、何か一つでもかけちゃったら面白くないんだ。きっと。
だから、嫌なこともいい事につながるちっぽけな点に過ぎないし、もしも今、ちょっぴり苦労してるとしても、確実に後で笑い飛ばせる種のひとつに過ぎないんだから、ばらまくだけばらまいて育てるだけ育てて、全部満開のお花畑にしちゃえ!
と、改めて思わせてくれる元気のいい前向きなはるちゃんの個展でした。
時々(未だに?)アートってなんですか?
とか聞かれたりする(聞かれ飽きたけど)、そんなもの、人の心に、その人の歴史やその時の状況、おまけに誰と感じあったかなんていう計り知れない倍数をかけた数だけ答えがある。
カテゴリーなんてどうでもいいし、人は言葉を覚えて使いこなすようになる前から、音楽も絵画も知っていたし感じてた。目に見えるものも耳に入る音も地球上のあらゆるところに存在してたから。
そのことに気づくか気づかないかってだけ。
人に見えない美しさも、聞こえるはずのない音もどれもこれも素敵。水面に移る月が偽物だというならそれでいい。蜘蛛の巣に光る夜露がダイヤモンドより綺麗だと思う人の心を否定することはできない。
簡単じゃないかな。
他者や他人の感覚を否定しないこと。自分の感性に逆らわないこと。それでいい。
その筋のプロになるべくセオリーを勉強しないとイケナイ大変な人達はともかく、普通に楽しめる状況におかれているなら、なんだかんだ考えないで「おーこの絵大好き」とか「なんかヤダ」とか「クー見てると泣ける」とか「無性に腹がたつ」とか、それで十分。
美しく生きようよ。いろんな意味で。
来週からの個展も、自慢できる作家と作品揃いです。
Dec 4, 2011
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2 comments:
I hate to bother you...but what does Omnis habet sua dona dies means? Thank you in advance. olycopr
「すべての日は、それぞれの贈り物をもっている。」というラテン語の格言です。in Latin
http://en.wikipedia.org/wiki/Martial
I think that this word says "every day is wonderful!"
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