Jul 5, 2011

PLANET CALL DELICIOUS SWEETS 宮下大輔展

始まりました。

世の中にデザインされていない物なんてない。
何もなかったところに「形」が生まれたら、それがなんであれデザインされている。
かっこ良かろうが悪かろうが、そこは見る側の自由だし、エゴだ。

人の手や思惑が加わってその結果「何か」が出来上がる。それは、必要な物であったり不必要な物であったり。

でも、必要だからというらしい理由だけで生み出されたはずの物達のフォルムが、視点を変えるだけで理由もなく気になったり、かっこ良く見えたるするのは、なぜだろう。

貯水タンクや送電線、ビルの窓やアンテナ。

そこには目に見えない作り手の「なにか」が一緒に組み込まれているからだろう。
世に言う芸術とかいうジャンルだけじゃなくて、物を作り出す人たちにとっての美意識みたいな物。そんな事も気にしてないかもしれないけど、でも「なにか」

芸術家だけが、作り出すものたちにデザインを与えていると思われてるとしたらそれはちょっと違う。

それについてなんだかんだ考える事。
作る人が違ったらたとえその物の呼び名が同じでも、同じ物にはならない不思議。
言っちゃえば、同じレシピで作ったはずなのに、どうして?っていう料理。
そのレシピを考えた人は、自分でそれを作り出した。塩を入れるタイミングもひとつかみの感覚も、火を止めるタイミングも、全てがその人の物作りへのちょっとしたこだわりと考えが組み込まれている。だから、同じレシピをなぞったって同じ味になるはずがない。

じゃなかったら、アンテナも貯水タンクも同じ形、同じ素材、同じバランスで別にいいはず。

もちろん、今までにない素材が発明されたとか、前のデザインより強度を増すためにはこういう形にした方がいいとか実用的な改良もあるのだと思う。
どんな理由であれそこにはやっぱり、またなにか新たな「なにか」が加わってる。それを加えたのは「人」だ。加えたがるのも「人」だ。

デザインという言葉が勘違いされて表面的な物のようにとらえられていたら、それは違う。当たり前のようにある、私たちの指だって膝小僧だって、デザインされているんだ。足の小指なんてずっとみてると可笑しいくらい「おいおいっ」っていう絶妙な位置に絶妙な大きさと形で存在している。つま先だって、先端に切れ目が4つ入ってフリンジみたいになってると思ってみてると、ちょっと妙に思えてきたりする。
誰に?なぜ?その謎は解けない。
あー別に宗教っぽく言ってる訳では決してない。
ただ単純にどうして黄金虫は黄金虫っていうんだ!とか、どうして水色のカエルがいるんだ!くらいの事と思ってくれていい。
それの専門の先生とかだったら理由が答えられるのかもしれないけど、そこはいい。
妄想したいだけだから。

おもしろい。だからおもしろい。

それを日常的に楽しめる、見つけれる、クスクスできる。
クリエイティブ(よくわからんが)な感じがするじゃん。

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