Apr 22, 2011

いじめみたいだ

苦手な作品を選ぶ事に久しぶりにクレームが来ました。

「まるで、いじめみたいだ」と。

そこにはこうも書かれていました。

「それとも芸術家というのはそういう嫌な評価も前向きに受け止めてこそ次の素晴らしい作品ができるものなのでしょうか?」

「受け止めてこそ」という所は作家それぞれでいいと思うし、「次の素晴らしい作品」というのも何を基準に「素晴らしい」というのかがわからない。

そもそも「嫌な評価」というのも受け止める側の判断による所が多いと思います。

作家の方々はどう思いますか?

何かを「苦手だ」と伝える事に、なぜこんなにこだわるのかが正直わかりません。
苦手な作品を選んでくださった方々のコメントは、とても的を得ていて一生懸命書いてくださっている事がよく伝わってきます。私はそれをいつもありがたいと思って読んでいます。私より客観的な意見もあり勉強になります。そうして好きな理由より作家の為を思って書いてくださっている事がわかります。

作品を発表してしまったら、見る人にどう思われようと受け止めるしかない。それしかない。
それに作家の人たちは、誰かに「わかってもらおう」と思って制作してる訳ではないと思うし、それ以上に「みんなにわかってほしい」とか「好きになってほしい」とか思って制作してる訳でもないんじゃないかと私は思う。

趣旨に賛同できないなら、自分の意志で「参加しない」という選択もあるはずです。


逆に、作家も私たちも一生懸命、真剣に公募展を開催しているのに、わざわざ別にメールでクレームを言われるほうが、いじめられてるみたいです。

3 comments:

verythink said...

単純に、自分の作品に言及されると嬉しいです :)

D.M said...

「苦手な…」というのが作家や作品にダメージになる思われたのでしょうか。
またそれをみんなでやって作家や作品を苦しめることになると思われたのでしょうか。
作者としては他の人からの感想や意見はおもしろいものですし、貴重です。特に「苦手な」という内容はなかなか聞けず、聞いてみたいものです。
その感想に対してどうするのかは決まっていませんが、鑑賞者の方々にどんなふうに見えているのかを知りたいというのはあります。
だから「苦手な作品」と言われても「いじめみたいだ」とは思いません。
作家は柔軟ですしタフです。
狙い通りかもしれませんし、新たな展開の可能性かもしれませんし、反省点かもしれません。
そんな感じに前向きな感じにも思えます。
「苦手な作品」と言われてもぜんぜん大丈夫です。
私はそう思います。

LECTER said...

好きでも苦手でもなく、見た事すら忘れられるというのも哀しい気がします。「そんな絵、あったっけ?」っていう。
これがいじめだったら、一次審査ですでに作品を選出している私は’ジャイアン’のようですね。
あっちなみに私は’ジャイアン’好きです。