いろいろの「い」
私は負け戦はしない。
なぜなら、負ける事がわかっているから。
負けてもともととも思わない。
そんな事で時間を無駄にしたくないから。
もっというと、自分以外に戦いを挑まない。
勝つとか負けるとかは、本当はどうでも良くて、
他人と争う事に興味がないから。
昨日の自分よりつまらないと、とりわけ哀しく、ちょっとでもおりこうさんにこなせると、ものすごくご機嫌。その程度。
時折、無防備に戦いを挑だりしてる人を見る事がある。
気づいているのか、いないのか。
マラソンランナーもボクサーも練習して練習してそんでもって、チョピット自信がついて来たら、なんだか、自分の力を試してみたくなるんだろう。
そりゃそうだ。
でも、練習して、練習して、っていう所をすっとばして挑んだりするから素人は怖い。そう。けがをするよ。
なんだか井戸の底から月に向かって文句を言っている様で、体力は消耗するは、届かぬ思いにアセアセするはで見ていてどうも、つらくなる。
まずは井戸を出る事がいっとう初めの努力であって、そんでもってよしんば出られたとしても、その次はどうすれば、月に届く声を発する事が出来るか考える事だ。いや、甘いな、ごめん。はたして届くのか?に、気づく方が先か・・・。
人間には大変立派な能力があるらしいではないか。「考える力」っていうさ。この考える力っていうのも食わせ物で『下手の考え休むに似たり』という先人達のお言葉もあるくらいだから怖い怖い。
まあまあ、その後、いくらでも月に向かってお仕置きするといいよ。
あっ月に変わってだったっけ?
まあ、それが出来る様なら、ここに来てなお井戸の中からどこぞに向かって文句言ったりしてないか。
Do not waste what remains of your life in speculating about your neighbours,
どんな自分に見られたいかがそんなに気になるとは、どういう状態でそうなるのか私には全然、まったくもってわからない。どうせ人は見たい様にしかみないのだから、気にする事もない。
芋虫が、一生懸命「僕は本当は蝶なんだ!綺麗な蝶になるんだ!今は芋虫だけどっ!」って叫んでる様なもんで、だから何なんだって感じがする。芋虫も愛くるしいし、その期間があったから、蝶になったんだろうに。でも、今は芋虫なんだからいいじゃんそれで。と思えて仕方ない。
芋虫が生理的に嫌いな人たちに、いくら、「蝶になるまで待ってっ:)」って媚び売ったって時間の無駄だと思うんだが。そんなにまでして自分の芋虫加減を卑下する必要があるのだろうか。
芋虫も、チョウチョも好きだよ。私は。おまけにチョウチョになるって嘘ついてた芋虫が蛾になった所で、嫌いにもならない。
それが愛だよ、愛。
あーあー日本のどこかにぃ、あなたを待ってる人がいるぅ♫らしいしねっ。
私は年齢詐称はしていないはずっ。
愛されてないのか?そんなに。
だったら、愛する事から始めよう!
こんなにも世間は愛に満ち満ちているではないか。
素敵だ!
May 7, 2009
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