さっき、ブログを書いてて思い出した本がある。
Calvin Tomkins の LIVING WELL IS THE BEST REVENGE
優雅な生活が最高の復讐である。
ご存知だと思うが、この本はある夫婦にインタビューした実話として書かれている。1920年代、アメリカ市民であるジェラルド・マーフィーとセーラの夫婦がピカソやヘミングウェイといった人々との交流や、その2人のライフスタイルに関する話を中心に進んで行く。ジェラルド・マーフィーは、実業家でもあったが、本質的には画家だった。現存する彼の作品はホイットニー美術館やダラス美術館で見ることができる。描いている最中より幾分後年になって認められた画家だ。彼とセーラの生活はスコット・フィッツジェラルドの「夜はやさし」のモデルになっていると言われている。
タイトルの言葉はスペインの諺だ。
作家がジェラルドに、どうして絵を描くのをやめたのか?と聞いた時、彼は自分の作品は一流じゃないと気づいたんだよ。といった。「それに、二流の絵ならこの世に溢れている」と。「死ぬ前にいつか、世界に見せられる絵を一枚は描きます」とも。
恵まれた資産と、オシャレな生活。天才に近いアーティストたちと過ごす避暑地での夏。それは、彼にとっては日常だっただけで、他の人がいう優雅な生活だったとは思っていない。この本のなかでも優雅な生活とはお金を贅沢に使うという事ではない。と彼らは言っている。とはいえ、他の人から見たら十分使っているのだが。
彼は結局「死ぬ前の一枚」を描けないまま死んでしまった。
そうして、こう言ったそうだ。
「絵をはじめるまでは全然幸せじゃなかった。絵をやめざるをえなくなってからは二度と幸せになれなかった。」
周りがうらやむ生活をしていたはずなのに。
でも、この台詞は寂しいだけの言葉じゃない。だって、絵を始めてからやめるまでの時期は少なくとも彼は幸せだったんだって思えるから。何に復讐するのか言葉尻をとってもしょうがないが、一生のうち、幸せだったって認識できる確かな時間を持てたのだから、彼の復讐は成功したんだと思う。
優雅な生活が最高の復讐である。
あなたにとっての優雅と私にとっての優雅とジェラルドにとっての優雅。そうして、フィッツジェラルドにとっての優雅は違って当たり前だと思う。
1962年、ピカソが2人に知り合いづてに伝言を送った。
「セーラとジェラルドに、元気だ、と伝えてくれ。億万長者になったが、すっかりひとりぼっちだよ」と。
ピカソも優雅だったに違いない。
Oct 25, 2008
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