危険な事に、公衆の面前で泣いてしまう所だった。
ポール・ギャリコの「雪のひとひら」を読んでいたのだが、危なかった。
どの文章がどうこうというのではなくて、もちろんいろいろあるのだけれど、淡々と流れて行く言葉の中に、優しい思いや、穏やかな時間や、澄んだ空気が静かに横たわっていて、思わず自分が何処にいるのかさえわからなくなってしまった。その瞬間、懐かしい感じの切なさがこみ上げて来てどうしていいかわからなかった。こんなにも言葉たちが大好きだと思ったのも久しぶりだった。
コミュニケーションの仕方を間違えると大変な事になる。苦手だからじゃすまない事。きちんとできる人に憧れはするが、そうなりたいと思えない。困った事に、いつまでたっても。一人では何も出来ない事もわかろうとしているし、わかる気もする。でも、わたしはまだ、一人で何も出来ない人が集まったってしょうがないと思うレベルを抜け出せないでいる。
ペットを飼うのが嫌だという人がいる。かわいがっても別れる時につらいからと。つらいさ。人それぞれだからもちろんそれもありだと思う。ただ、平凡に生きて死んで行く中で、その子の存在は特別になって、まるで私までいい人生を送ってる気にさせてくれる。
もうすぐ、ポート・オーソリティで郊外行きのバスを待ってる私の電話が鳴ってから一年経つ。あれは確かに気が遠くなるくらいの出来事だったけど、それでもそれは確かに私の一部として記憶のなかで息づいている。当然の事ながら。
ポール・ギャリコの本に「ジェニー」っていう人間少年猫のお話もある。ちょっとした事で何らかの心の動きを感じてしまうのはいけない事なんだろうか。わからないな。しょうがないか。ガキだなあ、いつまでたっても。どうしてだろう。嫌になる。
Jul 23, 2008
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2 comments:
what happened?
Shelley?
Are you "THAT Shelley"?
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