過ぎた事は1秒前のことでもやり直せない。
わかりきっていることだけど本当にそのことを日々意識して過ごしている人ってどのくらいいるんだろう。
だから賢い人は前もって計画なるものをきちんと立てて過ぎていく時間に挑んでいくのだろう。
偉いな
1秒が過ぎ、1時間が過ぎる。1日が過ぎ、一生が終わる。
怖いな
ベランダの鉢植えのシダは私が植えたものではない。あの鉢には名前は忘れたけれど花の少ない冬の時期に紫色の小さな花を咲かせる少しだけ背の高いお花を植えていたはず。
いくつかの冬をその花は彩ってくれていた。いつの頃か気づくと小さなシダが生えていて、今では青々としたシダが初めからそこにそうしてあったように群生している。そこだけまるで小さな南国のジャングルのようだ。あの紫色の花は影も形も無くなった。
それでもそれはとても素敵で風に揺れるさまは目に優しく、緩やかな動きを繰り返しては目に見えないはずの風を見せてくれる。
物事は変わる。変わっていく。
シダを見ているとそれも悪くないなと思う。変わることはなんだか怖いし悲しいことのように思っていた部分もあるけれど、それも悪くないなと思う。
最近ではそのシダの鉢になぜかポトスも伸びてきている。誰が?
ポトスの鉢は確かに部屋の中にはあるけれど、なぜここに?
一生懸命育ててる他の花はしょっちゅう不恰好になったり、なんだか元気がなくなったりするのに、その鉢はなぜか自然にかっこよくて。
自然の才能には勝てないな。
失敗しても間違ってもいいんだなと、改めて思う。
思うようにいかないことの方が多いとしても、結果オーライなら素敵なことだなと。
それでもいいんだ。
ちょっぴり時間を無駄にしたとしても、結果オーライならいいよね。
明日は母の命日だ。空が思いっきり高くてよく晴れた良い日だった。
お葬式の間Red House Paintersの曲を流していたな。Have you forgotten.
過ぎた一年をちょっぴり考える日、それは私にとって明日の日。
終わりの始まり
まあまあ頑張りましたと言えるように。
最近、Alec Benjaminのアルバムをよく聴いている。
初めて聴いた時は、映画「リプりー」のマット・デイモンが初めてチェット・ベイカーのマイ・ファニー・ヴァレンタインを聞いた時のように「歌っているのは男か女か、それもよくわからない」と思わす呟いた時と同じような気持ちになった。
曲も声も心地いい。散歩にもこんな天気の日にもよく似合います。
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