散歩道の桜は終わったけど、新しい緑がたくさん。
赤ちゃんが産まれたとかいうお話も聞いたりして、新しい命はどんな時でもこちらにまで幸せをくれる。
このご時世で死んだふりを決め込んで過ごしてやると思っていたし、私の場合病気になってからずっと今で言う緊急事態宣言のプロだから、あーもしかして私はもう世間から隔離されたズレた人間になってしまったのではなかろうかと思って過ごしていたのに、この状況が世間の普通になるなんて(外に出るときは一年中マスクして、不要不急の外出を避けて、人混みには行くな。消毒消毒!って。おまけに在宅ワーク。)思いもしなかった。夏にマスクしてると妙な視線をくれる人もいたけど、今では全然平気。まあ、重症化する可能性が高いからって前よりうるさく言われるようになったことは余計だけど。
花の写真を撮りに行った。久しぶりに開花の時期に自由の身だったから。
その花を初めて見たのはもう随分前のこと。それから大好きで毎年見るのを楽しみにしている。なのになぜか毎年その開花時期に病院にいた。
その花を初めて見たのは花の時期が終わってしまってその木の下に落ちていた花だった。その色に驚いた。ヒスイカズラの名前の通り淡い紫を抱えた透明な水色で自然界にある色とは思えない色をした花だと思った。一瞬でその色に恋をした。
その花を見ると思い出す女性がいる。
花とは直接関係はないのだけれど、私がその花の事を考え始める春の初めの頃いなくなってしまったからなのかもしれない。その後はその花と彼女のことを一緒に思い出すことを毎年繰り返している。
その花のことを考えると思い出す人がいる。その人はいつも穏やかで怒ったところなんて想像もできない。絵が好きで本が好きで文章が素敵だ。忙しい仕事をしているのに忙しいなんてことを口にしたこともなければ素振りをしたこともない。
彼女がいなくなった時、なぜかその人と話したくなって入院中の病院のベッドからメールをした。
その前からヒスイカズラの話をしていて、いつか写真を送りますと言っていたこともあって、今年も写真を撮りに行けませんでした。というお話と一緒に。
人をなくすことを普通の人よりたくさん経験しているその人は特別なことを大袈裟に言うでもなく、ヒスイカズラの花言葉を添えた返事をくれた。「私を忘れないで」
そう。そういう話をしたかったんだ。と深く思った。それだけで良かったんだ。
思い出の中に息づいてる大切な人、いつも会えるわけじゃないけどそんな風に心に深く棲んでくれている人。そんな人たちのおかげで結局はどんな時でも心穏やかに過ごせてる。些末なことで心を痛めても、世間とのズレで自分の感性からブレそうになっても本来の立ち位置に戻ることができる。自分がこうありたいと思う場所に。そんな人たちの存在がどれだけありがたいことなのか、こんな時期に改めて思う。そういうのって幸せだ。
その人がくれるカードの文字は、映画の中のデッキー・グリンリーフが書く文字のようにどの文字も線に接していない。
そこがまた興味を惹く。なんにしても知らない部分がある方がずっと魅力的だ。
好奇心を刺激し続けてくれる人や物は多いようで少ない。
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