何年ぶりだろう。ギャラリーのブログを書くの。
書かずにはいられない個展のお知らせがある。
私は本当にこの作家の絵が好きだ。
理由?理由は邪気がないから。どこをどう切り取っても大袈裟でもなんでもなく、自分の中から出て来るものしか描いていない。いつも。
ただそれだけ。それだけだからどうにも困る。
素直にいいとしか言いようがない。
泣きそうになる時もある。
本物だと思う。っていうと本人は嫌がるかもしれない。本物とかそういうことじゃなくてって。でも他に言いようがないのだから仕方ない。
まあ、わたしがここで言葉を重ねても仕方のないことではある。作品は見るものだし、その前に立って何を感じるかも自由なんだから。
病気になって悔しいのはこういう時だ。
前はレコルテでも個展やったのになって。2回もやったのになって。
直接作品に触れて、どうだこれって出来たのになって。
原因もわからず、いつ再発するかもわからず、ずーっと薬で抑えながら治らない病気っていうのは死ぬより辛いのかっていうとそうでもない。だって、どうせみんな死んじゃうんだから。
ただ、なんとも歯痒い時間があるのも確かだ。想像もしていないときに動けなくなったりする。前みたいに好き勝手にいろんなところに行きたい。誰かに迷惑かけるのは嫌だとかいつも気にしながら外に出るのもめんどくさい。
それでもこんな絵を見ると、モニターの中にあってさえ私は元気になる。
いい絵だなあって。
描かれているものが愛しいと思うのは、やっぱり邪気がないからだ。
嘘っぱちの自分を投影したような作家は好きじゃない。
作品にだって嘘は禁物だ。想像力はいい。もちろんいい。でも嘘はだめ。
実は今日も体がつらかった。だからなんだ?っていうくらい他人には関係ないことだ。
それなのに、ちょっとSNSを見たら机に座ってこんなことができてる。
私は絵が好きだ。好きだからこそ本物しか嫌いだ。
私の中での勝手な本物だけどね。
本田誠の個展「薄っぺらな森の奥深く」
ステートメント
古びた大きな切り株に腰を下ろすと、薄っぺらな森の奥に迷い込んでいた。
ひび割れた船が頭の中で座礁している。たくさんの糸は複雑にもつれ絡み合っていて、もうどの糸を引いてもよりひどくなるばかりだ。何が原因だったのかわからない。本当はベッドで一日中横になっていた。お布団の中。海に浮かび水平線をみつめる。こっそりと街の隙間に向日葵の種を埋めた。チューリップの球根も。ささやかな充足感とぼんやりとした陰鬱さが、反発し合うことも溶け合うこともなく同居している。温泉は最高だ。猫達もぐっすり眠っている。悲しみが溢れたら太陽で目を潰そう。もうすぐ歯が抜け落ちそうだ。全てが真実でまやかし、真面目になりすぎぬよう。