Jun 25, 2019

ヤッホー


また入院。再発。
この前の治療が201711月だったから、今回は2年持たなかったね。

書いててふと気づいたんだけど、2017年の初夏は最初の治療から「やっておけば、2年は再発しないでしょう」って言われて、4年経ってたから上出来だったわけで、なぜその後、同じ秋にソッコー再発したかっていうと、その夏にレクターが私を置いて行っちゃったんだよね。あいつはいつもそばにいてお話もよく聞いてくれてたんだけど、私が「ずっと一緒にいようねー」っていう時だけ、ちょっと悲しそうに目をそらす癖があったんだ。
出来ない約束はしないよって言ってるみたいに。おまけにちっとも迷惑かけなかった。少し目を離したすきにそっと行った。私だけ往生際が悪かった。

もしかして、実は根性なしなんだろうか。私。

今年の初め、大好きな友達に「今年は去年より元気な感じですので、ちょっぴり活動的な日々を送りたいと思っています。会える日を楽しみにしています」って、メッセージして、「私もお会いできるのを楽しみにしています!」とかなんとか言ってワクワクしてたのに、会えなくなっちゃった。

年が明けてからもなんだか忙しかった。
たくさんデザインしたり、たくさん物を作ったり、いろんなところに飾ってもらったり、バタバタと元気だった。


春先になって、地獄を見た。
立てなくなった。右手が動かなくなった。ふふっ。
それはなんとかしのいだけど、今度は以前と同じ嫌な感じの「あーそれはダメですねえっ、病院行きですよー」ってところが再発した。

原因不明だから、摂生してストレスを避けてって言われ続けてるけど、難しいよ、それって。
摂生、摂生って、タバコも吸わないし、お酒も飲まないし、深夜のラーメンとか脂っこいものとか食べないし、自炊するし、外食する時も別に変なものは食べないし、あと何? チョコは食べるよ。だから?

それに、普通の人のどのくらいがやりすぎで、私のどのくらいがやりすぎなのかもわからないし、いろんなこと途中で辞めれる?最後までやるよね。
だってやろうと思えばできるんだもん。なんだって。
そのあと、ちょーっとおっとおあれれって、動けなくなるだけでさ。
わからないよ。ストレスって、どれよ。どんな時よ。
シルクのシャツを普通洗いで洗っちゃた時とか、買ったばかりの靴のかかとの皮が剥けた時とか、アイスの新作が期待外れだった時とか。それもそうなのか?
あっ、じゃあカフェのちっこいテーブルの脚がカップ置く度にガタガタする時。これはハッキリとストレスだと感じる。

色々調子に乗ってやりすぎたのかなあ。
ほんとに今年は調子がいい感じがしたんだよね。
ううん、本当はちょっとそれもあるし、それもまた違うかも。

死ぬほど悲しいことがあって、自分でも恐ろしいくらい対処できなかった。
心がちぎれて、拾い集めても拾い集めても、集める側からこぼれ落ちていく。

足元が、ふわりと捉えどころがなくて、部屋の隅々に悲しみが積もって、夜の大好きだったはずの時間になると、その隅っこからまるでラッピングされるように積もった悲しみが包み込んでくる。

何もしてない時が、お風呂に入っている時が、油断してる時が一番危なくて、気づかないうちにボロボロ泣いてて、久しぶりにというか、母が亡くなった時ぶりに父に涙を見せた。泣いてお話をした。

怖かった。何かが、何かはよくわからないけど、心から怖かった。
生まれて初めての感じだった。

死ぬほど悲しいことがあって、って書いたけど、人なんて簡単に死なない。特に私は死ぬことがというか、自分が自分じゃなくなって無になるということをまだ受け入れられてないから、ジタバタするくらい怖い。
ということだからか、再発という形をとることで死ななくて済んだと思うと、ラッキーなんだと思う。
死ぬ勇気はない。そこんところはたいそう弱虫だから。

その悲しい出来事を受け止めた形が再発の一つカケラだとしたら、なんだか嬉しい。
それなら甘んじて受けようではないか。
そして、復活しよう!今度はなるだけ長く!

とか言って、ただのそういう周期なだけで、なんてことないのかも。
みんな、家族が大変な病気になったり、予期せぬことに見舞われたり、生きてれば色々あるのにちゃんと辛くても頑張ってるもんね。偉いよな。ままならないな。

やっぱただの根性なしなのかなあ。
でも、根性って言葉もなんだかなあ。令和だし。

だけど、私は忘れないでいよう。
私なんかとはくらべ物にならない程の、喪失感と悲しみを抱えている人が他にも確かにいるってことを。
癒えるはずもないけれど、どうか、少しでもと。


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